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「李離(りり)」(書・吉岡和夫)

「李離(りり)」(書・吉岡和夫)

中国・前漢時代の歴史家、司馬遷(紀元前145年ごろ~同86年ごろ)が書き残した「史記」は、皇帝から庶民まで多様な人物による処世のエピソードに満ちています。銀行マン時代にその魅力にとりつかれ、130巻、総字数52万を超す原文を毛筆で繰り返し書き写してきた書家、吉岡和夫さん(81)は、史記を「人間学の宝庫」と呼びます。定年退職後も長く研究を続けてきた吉岡さんに、現代に通じるエピソードをひもといてもらいます。(前回の記事は「名医がみせた人の生かし方 史記に残る『不治』の教え」

官僚や公務員ら「役人」と呼ばれる職、古めかしく書けば「吏(り)」ですが、読者はどんなイメージをお持ちでしょうか。堅実で頼れるというプラス評価もあれば、権限を悪用するなどマイナスの印象もあると思います。司馬遷も史記に「循吏(じゅんり、法や道理に従う役人)」と「酷吏(こくり、厳格で冷酷な役人)」のそれぞれに列伝を用意しました。

前者の循吏列伝の冒頭には「法令と刑罰の両方をきちんと備えた行政は循吏によって支えられ、乱れたことがない。威力の誇示や厳しさのみが国を治める手段ではない」とお断りのような文章が入っています。役人がその本来の使命に忠実であれば、強権を発動しなくとも社会や組織が乱れることはない、そんな意味だと考えると、現代にも響くものがあります。

好きだからこそ、もらわない

循吏列伝の主役は、中国・春秋時代(紀元前770年~同403年)を生きた5人ですが、このうち3人を取り上げ、公権力の一端を担う人物の身の処し方について考えたいと思います。

 公儀休(こうぎきゅう)は魯(ろ)の国の役人でした。官名は学識を行政に生かす「博士」。あまりに優れていたので宰相に出世しました。彼は法や道理を守り、宰相だからといってそれを都合よく変えることはしません。役人が利益を得るために一般の人々と競争したり、高給を受けながら小銭をかせいだりすることも許しませんでした。
 そんな公儀休が、ある人から送られてきた魚を受け取らなかったことがありました。「あなたが魚を好むと聞いて届けたのに、なぜですか」と問われた彼は答えます。
  魚を嗜(たしな)むを以(もつ)ての故に受けず。
 魚が好きだからこそ、受け取らないのだ――。彼は自分の収入で好きな魚を買えることを説明したうえで、魚を受け取った収賄で免職になったら、魚を買う金も、届けてくれる人もいなくなると、ユーモア交じりにつけ加えました。
イラスト・青柳ちか

イラスト・青柳ちか

 公儀休は庭で採れた野菜が大変美味であることに気づくと、引き抜いて捨て、自分の家の者が織った布が優れていることを知ると、織り機を焼きました。「買うことのできる者は買うべきであろう。そうでないと農夫や工女が生産物を売るところがなくなり、困窮してしまう」というのが理由でした。

当時の賄賂は文化みたいなもので、ひょっとすると報酬の一部のようにも思えますし、世話になった人に贈り物をする習慣は今もあります。自家製のものを品質がよいから捨ててしまえというのはちょっと極端です。何より金品をもらったり、おいしいものを嫌ったりする人はいないでしょう。

やはりこのエピソードは、公儀休が役人であることを深く自覚していたことを前提にしないといけません。自分は何のために働いているのか、与えられた役職を自分だけのために利用していいのか、彼にはそんな自問自答があるように思えます。

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