組織の中で地位や権力を手にすると、いわゆる「役得」を当然のように考える人もいますが、公儀休はそうではありません。むしろ、その立場だからこそ、普通は遠ざけなくてもいいものを遠ざけ、足をすくわれることなく存分に使命を果たす。かねて懇意にしている人物に特別扱いを頼まれても、それができる役職の間はあえて応じない、そういう姿勢です。

主君の温情も受けず

誠実な役人であるが故に悩み、苦しんだ人物もいます。石奢(せきしゃ)と李離(りり)です。

真っ正直で不正を嫌う人柄だった石奢は、楚(そ)の昭王の宰相となりました。あるとき道で殺人の現場に遭遇し、犯人を捕えてみると、なんと自分の父親です。石奢は父親を逃がし、代わりに自分が監獄に入ると、王に報告させました。「法に照らして父を犯人として扱うのは『孝』とは言えず、法に反して犯人を釈放するのは『忠』ではありません。私を死罪にしてください」
王は「罪人を追ったが捕えられなかったということだろう。罪に服するに当らない。これまで通り仕事を続けよ」と、ウソも方便で石奢を守ろうとします。しかし石奢は拒みます。王の温情に感謝しながらも死罪を受けるのが「臣の職なり(私の役職の重さというものです)」と自害してしまいます。
李離は晋(しん)の文公に監獄のトップとして仕えた役人でした。誤った情報により無実の人を死罪にしてしまった責任を取り、やはり自ら収監され死を求めます。文公は「官に貴賤あり。罰に軽重あり(官職は上下で役割が違い、刑罰にも軽重がある)」と語り、誤審は部下の間違った報告のせいでお前の罪ではないと制止しました。李離は答えます。
 臣、官に居りて長たれども、吏に位を譲らず。禄を受くること多しと為(な)せども、下と利を分(わか)たず。
私は監獄を任されたトップで、部下に位を譲ったことはありません。高い報酬を得ていながら部下に分け与えたこともありません。(だから私の責任は部下より重いのです)――。これに文公が「そうすると、お前の罪は、私の罪にもなるのではないか」と問い返すと、李離は「殿が私を任命したのは、事件を詳細まで調べ、正しい判決をくだすと信じてくれたからです。それを裏切ったことでも、私は死罪に相当します」と訴え、やはり自ら死を選びました。

石奢や李離が、主君の意に反して自ら死を選んだことには今と時代が違うとはいえ、異論があると思います。しかし、自分の仕事、使命の重みを自覚した強い責任感は立派です。虚偽によって保身をはかったり、部下に責任をなすりつけたり、そういうこともありません。やればできたのに、です。

彼らは結末が悲劇的なものだったとしても、法が正しく運用されていることを広く示し、人々に安心をもたらしました。人々は恐怖ではなく、信用によって行政に従うことができたのです。それは司馬遷が冒頭に記した思いの通りです。

司馬遷は循吏をこうも評しています。「功や能力を誇らないため人々から称賛を受けることがない。それでいて過った行いもない」。役人というのは尊い仕事だなあと、つくづく思います。

吉岡和夫
1939年(昭和14年)千葉県生まれ。横浜国大経済卒。東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)に30年間勤務。書家の古谷蒼韻氏に師事。雅号は「泰山」。中国「司馬遷史記博物館」(2016年開館)の顧問も務める。著書に『史記を書く』(1996年)、『毒舌と名言の人間学』(2005年)など。名古屋市在住。

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