戦後、日本は経済復興にまい進してきました。1964年の東京五輪を目標に、次々巨大な建物が建てられ、新幹線や高速道路も整備されました。小学校の時、その光景を見て、格好いいと思い、建築家を志しました。
しかし、栄光に入り、その頃からだんだんと冷めてきました。巨額な費用を投じて、自然をなぎ倒し、大規模な建物をつくることは是なのかと。別の「幸福」もあるのではないかと模索してきました。木のぬくもり、自然を感じられるような空間を建築家として追求してきたのもそんな思いがあったからです。カネをかけて、きらびやかな未来志向の巨大建造物に対する拒否感は一般の人にも浸透してきています。
私は国立競技場の設計にも携わりましたが、当初、ザハ・ハディドさんのデザイン案が反対運動にあったのもそんな背景があったからではないでしょうか。特に日本は少子高齢化が深刻な国です。自然や環境と共生した街づくりは多くの人が求めています。
「栄光は建築家としての私の原点」と言い切る。
豊かな自然に囲まれ、外国人の神父から様々な教えを受けるなど、ダイバーシティーの豊かな環境で学んだことは大きな財産になりました。ただ、少し余談ですが、課題はあります。栄光は全く女子と縁のない学校。これには善しあしがあります。近くに清泉女学院という同じカトリック系の女子校があります。しかし、栄光の生徒はJR大船駅から20分ほどの坂道を徒歩で登下校しますが、清泉側は駅から専用のバスで送迎するので、ほとんど接することもありません。
結果、栄光生は女性に慣れない。東大建築学科でも約60人の学生のうち女子は1人。おかげで今も女性には奥手です(笑)。しかし、建築界でも今、多くの女性が活躍しています。東大教授(現在は特別教授)として多くの学生を指導してきましたが、現在の建築学科の3分の1は女子学生。建築の世界でも女性の視点が必要不可欠となっています。
新型コロナウイルスの影響で、20年の東京五輪は延期されました。21年はコロナ禍の中で、どのようになるか分かりませんが、今後も多くの人たちが「幸福」になるような、自然環境にやさしい建築を追求していきたいと考えています。
(代慶達也)