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「足が壊れるまで」を貫いた マラソン野口みずきさん

五輪金メダリストに聞く(下)

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NIKKEI STYLE

日経Gooday(グッデイ)

2004年のアテネ五輪マラソンで金メダリストに輝き、1年後のベルリンマラソンで2時間19分12秒の日本記録を樹立。そんな輝かしい実績を残した野口みずきさんだが、2大会連続の金メダルを目指した08年の北京五輪を欠場。その後、2016年に第一線を退くことを決断するまでの8年間、度重なるけがに泣かされながらも、決して五輪出場への挑戦を諦めなかった。彼女を突き動かす原動力は何だったのかを伺った。

落ちた筋力を取り戻し、奇跡の復活へ

――北京五輪後、2年近くけがで走れず、フルマラソンには4年近く出場できない日々が続きました。復帰を志しても何度も故障に苦しめられましたが、それでも五輪を諦めず、現役を続けられたのはなぜでしょうか。

一つは、アテネ五輪で金メダルを取ったからだと思います。あの大歓声を浴びたからこそ、もう一回、五輪に出て復活できたらどんなにかっこいいだろうと思っていました。北京五輪でメダルを獲得していたら、こんなに長い間、現役を続けることはなかったと思います。

もう一つは、私を支えてくれる人、応援してくれる人がたくさんいたと気づけたことだと思います。ファンの人たちからロンドンやリオデジャネイロ五輪を目指してほしいという言葉をいただき、「お前がやめるなら、俺もやめる」とまで言ってくださって引退までずっと伴走してくれた広瀬永和コーチ(現・岩谷産業陸上競技部監督)にも支えられました。コーチに対しては、生半可な気持ちで「競技をやめる」なんて口にしてはいけないと思っていました。競技人生の後半は本当にしんどかったですが、絶対にもう一度立ち上がって、コーチとお互いに「良かったね」と言い合いながら競技人生を終えたい、中途半端でやめたくないと思っていました。

でも、北京五輪前に肉離れした左足の筋力は、右足の3割程度に落ちてしまいました。海外のトレーナーに見てもらったとき、「右足が五輪選手の筋肉だけど、左足は一般人だね」と言われました。筋力の左右差をなくすために、レッグカール[注1]やゴムチューブを使ったリハビリトレーニングで、徹底的に鍛えることにしました。京都鞍馬口医療センターの理学療法士の先生が、「1人でトレーニングするとネガティブな気持ちになるだろうから、病院に来て、トレーニングしている他の選手と同じ空間でやりましょう」と言ってくださって、1年近くリハビリトレーニングのために通院しました。そこでは、私よりももっとひどいけがをしたアスリートが、ゴムチューブなどを使って黙々とリハビリトレーニングをしていました。その光景を見て、「ああ、この程度のけがでくよくよして弱音を吐いてはいけない」という気持ちになりました。辛いのは自分だけではないと思えたからこそ、心折れることなく続けられたのだと思います。

[注1]太もも裏の筋肉など、下半身を鍛える筋トレのこと。

――筋力のバランスは戻ったのでしょうか?

回復して戻りました。でも、2年ぶりにレースに復帰していい感じに走れたと思ったら疲労骨折をしたり、治療して走ったら太もも裏の肉離れを起こしたり、けがが絶えませんでした。ロンドン五輪選考レースとなる2012年の名古屋ウィメンズマラソンでは、レース中に左足が抜けるような感じになって失速し、五輪の切符を取ることはできませんでした。そうした足に力が入らなくなる「ぬけぬけ病」にも悩まされました。

――しかし、翌年2013年の名古屋ウィメンズマラソンでは、2時間24分5秒の好記録で3位に入賞し、10年ぶりにモスクワ世界陸上選手権女子マラソン代表の切符をつかみました。

あのレース中、膝が全く抜けることがなくて、自分でも驚きました。前半から積極的に前に出て、途中、他の選手に追い上げられたのですが、膝が抜けなかったおかげで、強気で走り抜くことができました。

「走った距離は裏切らない」を信じ続けた

私のモットーは「走った距離は裏切らない」。サインするときに一緒に書く言葉です。08年の北京五輪を欠場した後、いただいた手紙の中に、「あなたは走った距離は裏切らないと言っていたが、裏切られたではないか」と書いてありました。このときばかりは、心にずしんと重しがのしかかった気持ちになりました。

モスクワ世界陸上選手権では、熱中症で途中棄権に終わってしまいますが、約10年ぶりに世界の舞台に立てたことは、長期間頑張ったリバビリとトレーニングはやっぱり裏切らないと思えることができた結果であり、この言葉が間違いではないと少しは分かってもらえたかなと。

――思ったような結果が残せない中で、レース後はいつも「ここは良かった」「ここまで達成できた」という前向きなコメントが印象的でした。ポジティブな発言ができたのはなぜですか?

失業をして走っていた時から(「マラソン野口みずきさん 失業の中で育んだプロ意識」を参照)一段一段、階段を上るように努力を積み重ね、アテネ五輪の金メダルをつかみ取りました。それと同じように、思うような結果ではなかったとしても、レースの中で少しでも成長した部分があれば、そこに視点を向けて、一段一段上っているんだと成長を感じたかったのかもしれません。心も成長させて前向きに何度でも立ち上がろうと。

――年齢が上がることでトレーニング内容は変えていたのでしょうか。

ある程度、変えていったと思うのですが、やはり若い頃の成功体験というか、これだけ走らないと記録は出せないという、自分の中でのデータがありました。そのデータに基づいて練習をしたいというこだわりもありました。

引退直前は、広瀬コーチが考える練習量をこなせなかったので、ある程度、練習メニューは私に託してもらっていました。過去のデータから考えると、これだけ走りこまないとこのタイムは出せないと考えてしまいます。でもそんなに走りこんでは足の痛みが出てしまう。やれるかもしれないけど、どうしよう……という葛藤が常にありました。練習メニューを組み立てることが本当に難しかったですね。そんな自分のこだわりをなくして、年齢と向きあったトレーニングが素直にできていたら、また結果が変わったのかもしれません。

「足が壊れるまで走りたい」の思い一筋

――リオデジャネイロ五輪の選考レースである2016年の名古屋ウィメンズマラソンが、ラストランになりました。

まったく練習ができなかったのですが、年齢的に考えても五輪への最後の挑戦だったので、広瀬コーチに「走りたい」と伝えてスタート地点に立ちました。序盤で先頭集団から遅れて、完走も厳しい状態でした。それでも沿道からのやむことのない温かい声援が私の背中を押してくれたかのように、自己ワースト記録だったものの、2時間33分54秒でゴールすることができました。

高校を卒業して実業団に入ったとき、私は「足が壊れるまで走りたい」と言いました。その思い一筋で、現役生活を送ってきたように思います。決してかっこいい終わり方ではなかったですが、たくさんの人に支えられながら自分の意志を貫くことができて、足が壊れるまでやり遂げたことには満足しています。

いいことだけでなく、しんどいこともたくさんありましたが、それも含めてすべて私の人生であり、素晴らしい経験でした。だってそのおかげで、引退した後でもこうやって取材に来てくださって、自分がやってきたことをお話しすることができる。実業団に入った当時は、こんな未来が待っているなんて思ってもみませんでした。生まれ変わっても、また同じ指導者やお世話になった人、応援してくださった人々に出会って、同じ道筋をたどりたいと心の底から思います。

――今も走っていらっしゃるんですか?

はい。引退して、1年間ぐらいは走らなかったんですよ。高橋尚子さんは走ることが本当に好きで、引退後も走っていらっしゃいましたが、私は目標がないと走れない。でも今は自由気ままに10キロぐらい走っています。こんなところにパン屋さんや飲み屋さんができたんだといったふうに、景色を楽しみながらゆったりとしたランニングを楽しんでいます。

家で過ごすことが多くなったコロナ禍でも、朝に走ると一日がすごく気持ちいい。1人で走ればソーシャルディスタンスも保てるし、体力がついて免疫力も高まる。脳もクリアになるような気がします。何よりシューズ1つでできる運動なのでおすすめです。

――引退して4年経ちますが、今の活動は?

家族を大切にしつつ自分の限られた時間内で、全国各地の子どもたちにスポーツでも文化的なことでも、何か目標を持って諦めずに努力してほしいということを伝える活動をしています。今この時間がすごく楽しい。五輪に向かってやってきた道のりが、そんな時間をもたらしてくれているのかなと思います。

(ライター 高島三幸、写真 水野浩志)

野口みずきさん
1978年三重県生まれ。宇治山田商業高校からワコールの実業団へ。グローバリーを経てシスメックスに移籍。ハーフマラソンで頭角を現し、世界ハーフマラソン選手権で銀メダルを獲得。2002年マラソン初挑戦の名古屋国際女子マラソンで初優勝、03年の世界陸上選手権で銀メダル、04年アテネ五輪では金メダルを獲得。05年のベルリンマラソンで2時間19分12秒の日本新記録を樹立。16年の名古屋ウィメンズマラソンを最後に引退。現在は、岩谷産業陸上競技部でアドバイザーを務める。

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