日経ナショナル ジオグラフィック社

マヤークの施設は、高濃度の汚染水を、近くを流れるテチャ川に廃棄していたのだが、川下にある24の町や村が、その水を生活用水として使っていた。そして、1957年に地下爆発が起こった際には、周辺の村、中でも人口の多かったチェリャビンスク65からの避難が遅れ、何万、何十万という住民が、許容値の数十倍の放射線を浴びた。その30年後に起こったチェルノブイリの事故を何倍も上回るレベルだった。

がんの発症率が急激に上がり、多くの家族が犠牲になった。出生異常の発生率と末期症状のひどさで、「瀕死(ひんし)の世代」と呼ばれるほどだった。オジョルスクには依然として原子力の施設があり、部外者には閉ざされたままだ。

ソビエト帝国の閉鎖都市

社会帝国主義だったソ連は、国内の多くの都市を世界から隔離していた。それぞれにもっともらしい理由をつけてはいたが、たいていは秘密にしておきたい軍事施設があったためだ。

ウクライナ南部の係争地、クリミア半島にあるセバストポリという港湾都市には、戦略的に重要なロシア黒海艦隊の海軍基地が置かれている。この街は、ソ連時代には閉鎖されていた。同じような閉鎖都市に、ウクライナ中部のドニプロ(旧ドニプロペトローウシク)がある。弾道ミサイルや宇宙ロケットのエンジンの開発、製造の拠点だった街で、ソ連内では「ロケット閉鎖都市」として知られていた。

バルト海沿岸のエストニアは、今でこそ欧州連合(EU)に加盟している独立国家だが、ソ連の支配下にあった頃には、シッラマエとパルティスキの街が閉鎖されていた。ロシア系住民が大半を占めるシッラマエにはウランを製造する化学工場があり、パルティスキには原子力潜水艦訓練センターがあったためだ。

ほかにもまだ閉鎖都市はある。旧ソ連の南西隅にあったモルドバのコバスナという街。ここは、モルドバから分裂したロシア系やウクライナ系住民の住む沿ドニエストル共和国が領土権を主張している。それから、中央アジアのカザフスタンにあるプリオーザースク。プリオーザースクには今も弾道弾迎撃ミサイル試験地がある。どちらの都市も、いまだに閉ざされたままだ。

次ページでは、地図から消えた都市ニジニ・ノヴゴロドをはじめ、旧ソ連の閉鎖都市を写真でご紹介しよう。

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