――児童・生徒の「師」である小中高の理科教諭にアドバイスはありますか。

「理科は多くの単元がありますが、この範囲までは学ばないといけないと、子どもにプレッシャーをかける必要は、あまりないと思うんですよね。1つのテーマだけでも、生徒が自分で考えて『これならわかった』と理解できたら、ほかにも応用が効くようになる気がします。一人ひとりの生徒にあったテーマを通し、『わかる』とはどういうことか気づきを与えられたら、自分で勉強できるようになる。そんなふうに生徒が前を向くようにしてくれたら、と。私にとって数学がそうだったように、自分で考えて解けることが楽しいことなので」

――子育てを経験されています。何か教育方針はありましたか。

「もう大学を出て社会人になっている娘と息子の2人がいますが、自分の考えを押しつけないようにとは思って育てました。私の親がそうだったので。勉強しなさいとも言わなかったし、教えたこともないです。息子のほうは学校から出る宿題をよくサボったのですが、それだけは妻が厳しく叱っていました」

「私は休日に遊びに出かけるといった役割で、一緒によく体を動かしましたよ。釣り堀や公園など、いろいろなところに行きましたが、私は子どもを楽しませるよりも、自分が楽しんじゃう。たぶん子どもより自分の方が楽しかったですね」

ビジネスのわかる工学の人間を

学部時代はビル・ゲイツ氏とスティーブ・ジョブズ氏に憧れたという天野浩教授(2020年11月、名古屋大学)

――大学教育については、どんなことを考えていますか。

「ビジネスのわかる工学の人間を育てていかなければいけないと思っています。青色LEDの研究に入る前の学部生のころ、ビル・ゲイツさんやスティーブ・ジョブズさんのような起業家に憧れたことがありました。そのときの思いもあって(高度な「知のプロフェッショナル」育成をめざした日本学術振興会の)『卓越大学院プログラム』に参加しています。日本の工学教育は、専門に細分化しすぎていて、ビジネスのことをまったく教えてこなかった。これは大失敗だったと思うんですよね」

――若い研究者に伝えたいことは。

「われわれのような年寄りの話はあんまり聞かずに、自分の感性を信じて突き進んでくださいということですね。だれかの意見を聞いてもいいんですけど、それが判断のすべてになってはいけない」

「サイエンティストって、まさにアスリートなんですよ。プロ野球選手より(活躍できる)寿命が短いとどこかで書いたことがありますが、たぶん半数以上の研究者が、35歳くらいまでに成果を出さないとダメだと思っているんじゃないかな」

――それでも、あえてこれだけは忘れないでほしいということはありませんか。

「努力は怠るな、でしょうね。常に必死で立ち向かえと。そして没頭する時間をすごく大切にしてほしい。やっぱり没頭している人間には勝てないと思うんですよ。私も若いころに没頭できたから、今でも何とかやっていけている。ノーベル賞によって得られた楽しい時間もありますが、研究者としての自分を振り返ったときには、没頭した時間が一番大事ですね」

(聞き手 天野豊文、撮影 上間孝司)

天野浩
1960年、静岡県浜松市生まれ。83年名古屋大学工学部卒。88年に同大院工学研究科博士課程単位取得満期退学。同大助手の89年に博士号(工学)取得。名城大教授などを経て2010年から名古屋大教授。14年、青色LED発明の功績で、赤崎勇、中村修二両博士と共にノーベル物理学賞を受賞。同年、文化勲章。現在は名古屋大の未来エレクトロニクス集積研究センター長も務める。著書に「次世代半導体素材GaNの挑戦」(講談社)など。

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