――地元の公立小中から進学した高校、大学はいずれも第1志望ではなかったというのは本当ですか。

「本当ですが、進学した県立浜松西高校では、数学の楽しさをより深く教えてくれた恩師に出会うことができました。振り返ってみても、西高がよかったと思っています」

「大学は京都大学の数学科をめざしました。フィールズ賞を受賞していた広中平祐先生が京大にいて、かっこいいなと。ですが共通1次試験が全然できなくて、京大は無理と考えました。アマチュア無線をやっていたし、数学より工学の方が就職に困らないとも思って、名古屋大の工学部に志望を変えました。極めて現実的な判断です。夢のない話に聞こえてしまうかもしれませんが」

――中高時代、将来の夢を聞かれたら何と答えていたのですか。

「小説家になりたい、と言っていたかな。本はよく読んでいて、中学のころは(多くのショートショート作品を残した)星新一さんが一番。高校ではいろいろ読みましたが、最も記憶にあるのは庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969年芥川賞)です。数学が苦手だったら文系に行っていたと思います。文系科目が得意というわけではないですけど」

大学で気づいた「何のために学ぶのか」

自分がすべて用意する実験について「これほど楽しいものだとは、思いも寄らなかった」と語る天野浩教授(2020年11月、名古屋大学)

――大学生になって学問への姿勢は変わりましたか。

「本当に勉強が面白いと思うようになったのは大学に入ってからです。それまでは何のために学ぶんだろうとずっと考えているだけだったのですが、工学部の講義で年配の先生が『世の中の役に立つ、人の役に立つためにやるのが学問なんだ』と話されたのを聞いて、初めてわかった気がしたんです」

「実験は自分で考えて、自分でやる。装置も自分で組み立てる。それがこれほど楽しいものだとは、思いも寄らなかった。これはやってみないとわからなかったと思います」

――もし他者から「何が楽しいのかわからない」と言われたら、どう答えますか。

「正直に言うとですね、自分が楽しいのだからいいじゃん、です。他人の迷惑になったらいけませんけど、楽しいかどうかに他人は関係ない。石英管(=ガラス管)をきれいに曲げる手法を発見しながら加工したり、コイルをぐるぐる巻いたり、私にはそういうことが面白かったんです」

――面白いと思える何かに出合うには何が必要でしょうか。

「『経験』がすごく大事だと思うんですよね。面白いと感じるものは人それぞれだから、大学生になったら最初からいろいろ経験してみてほしい。何かを経験して『これ詰まらないや』とわかるのも発見ですから、無駄なことなんて全然ない」

「経験(を意義あるものにする)にはある程度、自分で考える力がないといけません。高校までに自分で考える力をつけておくことができればいいなと思うんですよね」

(聞き手 天野豊文、撮影 上間孝司)

天野浩
1960年、静岡県浜松市生まれ。83年名古屋大学工学部卒。88年に同大院工学研究科博士課程単位取得満期退学。同大助手の89年に工学博士号を取得。名城大教授などを経て2010年から名古屋大教授。14年、青色LED発明の功績で、赤崎勇、中村修二両博士と共にノーベル物理学賞を受賞。同年、文化勲章。現在は名古屋大の未来エレクトロニクス集積研究センター長も務める。著書に「次世代半導体素材GaNの挑戦」(講談社)など。

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