お客様は降りるとき、荷物の中から取り出したリンゴをひとつ、僕に手渡してくれました。はるばる青森からお客様と一緒に東京にやってきた手土産のりんごです。ふるさとのいい匂いが、車内に残りました。

上野駅のお客様から、思いがけずふるさとの味を分けていただくことは、ほかにもありました。長野県木島平村への帰省から戻ってきた女性をお乗せしたときは、地元の鬼伝説について僕の方から話しかけると喜ばれ、新聞紙に包んだ野沢菜をいただきました。新潟県長岡市の男性からは「うちで握ったものだから」と、米どころの大きくておいしいおにぎりをもらったこともありました。

深夜の夜鳴きそばに寄り道

東京駅と上野駅は、山手線なら間に駅3つをはさんだだけの近さですが、どこか違います。東京駅は洗練されていて、さすが首都の表玄関というべき存在です。昔は乗り降りする人も、両駅で違うような気がしました。上野駅は土の匂いがしました。

話は少し変わりますが、僕がタクシー運転手になった半世紀前は、今のようにコンビニはありませんでした。夜中の2時、3時になっておなかがすいたときに頼りになったのは屋台の「夜鳴きそば」でした。運転手が仕事を終えて会社に戻ると、入口脇で屋台のそば屋さんが待っていました。当日の水揚げ(売り上げのこと)を納金し、洗車し、ひと風呂浴びた運転手が、そこでお酒を飲んで、仲間とその日の出来事を語り合いました。後は仮眠するだけです。

その頃です。隅田川を渡った本所辺りで「新小岩まで」と乗って来た若い人がいました。道順を確認して走りだすと、程なくして「運転手さんは腹が減ってないかい」と聞かれました。僕が無難に「とりたてて」と答えますと、お客様から「腹が減っているんだ一緒にそばを食べよう」と持ちかけられました。夕方からの出番前に食事は済ませていましたが、深夜0時近くになっていましたから、僕も食べられないことはありません。

途中でお客様の指定した夜鳴きそばの屋台に寄り、食べ終わると、お客様は僕の分まで代金を払ってくれました。打ち解けたその後の道すがら、お客様の出身地が青森県八戸市とわかると、僕は「尻内(しりうち)駅をご利用ですね」と話しました。当時は尻内駅が八戸駅に改名する前後の時期です。

僕が青森県にある「日本中央の碑(いしぶみ)」のことについて知ったかぶりをすると、お客様は「東北差別」は明治になってからであり、維新後の「白河以北一山百文(福島県の白河から北は一山百文の値打ちしかない)」という言葉への悔しさが、地元紙「河北新報」の由来になったことなどを聞かせてくれました。東北への思いにあてられ、僕も一緒になって悲憤慷慨(ひふんこうがい)したのが懐かしい。

「ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と詠んだ石川啄木にとって、上野駅はふるさとにつながっていました。東京の下町、下谷で生まれ浅草で育った僕にとっても、上野駅はふるさとの駅です。

ふるさとの駅で乗せたお客様からふるさと自慢を聞く。これはとても心地よく楽しみなことでした。ふるさとは遠くに離れていても忘れがたく、しみじみ愛(いと)おしいものなのだと思います。

安住孝史
1937年(昭和12年)東京生まれ。画家を志し、大学の建築科を中退。70年に初個展。消しゴムを使わない独自の技法で鉛筆画を描き続ける。タクシー運転手は通算20年余り務め、2016年に運転免許を返納した。児童を含めた芸術活動を支援する悠美会国際美術展(東京・中央)の理事も務める。画文集に「東京 夜の町角」(河出書房新社)、「東京・昭和のおもかげ」(日貿出版社)など。

管理職・ミドル世代の転職なら――「エグゼクティブ転職」

5分でわかる「エグゼクティブ力」
いま、あなたの市場価値は?

>> 診断を受けてみる(無料)

「エグゼクティブ転職」は、日本経済新聞社グループが運営する 次世代リーダーの転職支援サイトです

NIKKEI 日経HR


ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら
NIKKEI STYLEは日本経済新聞社と日経BPが共同運営しています NIKKEI 日経BPNo reproduction without permission.