ふるさとの匂い、タクシーに乗って 上野駅の年末年始鉛筆画家 安住孝史氏

夜の上野駅公園口改札(画・安住孝史氏)
夜のタクシー運転手はさまざまな大人たちに出会います。鉛筆画家の安住孝史(やすずみ・たかし)さん(83)も、そんな運転手のひとりでした。バックミラー越しのちょっとした仕草(しぐさ)や言葉をめぐる体験を、独自の画法で描いた風景とともに書き起こしてもらいます。(前回の記事は「タクシー客「我善坊へ」 昭和の五輪後も旧町名に愛着」

今年も残り少なくなりました。子どもの頃は時がゆっくり流れましたが、年齢と共に速くなり、このごろは1日があっという間に気ぜわしく流れ去っていきます。目の前は元旦。気を引き締めて新しい年を迎えようと思います。

タクシー運転をしていたとき、年末年始にお乗せして印象に残っているのは、やはり里帰り前後のお客様です。僕のタクシー会社は浅草にあり、そうしたお客様が行き交った上野駅はホームグラウンドの駅でしたから、正面玄関口だけでなく公園口やガード下などによく着け待ちしたものです。

今から15年ほど前の年の暮れのことです。荒川区町屋から「上野駅まで」と乗って来た僕と同じ年輩の紳士がいました。町屋といっても隅田川に架かる尾竹橋に近く、京成電車や地下鉄町屋駅からはだいぶ離れていました。ボストンバッグを持っていましたから旅行客と思い「どちらへご旅行ですか」と尋ねますと「弘前に里帰り」とおっしゃいます。

「出世列車」のお客様

幼いころから鉄道の旅が好きだった僕は、青森県弘前市をはじめ津軽地方には何回も足を運んだことがありました。それで「弘前は良いまちですね」と伝えると、お客様は「知っているの」と驚いた様子でした。

僕は冬の五能線が好きなこと、最初に訪ねたときは客車と貨物車がつながった「混合列車」に乗ったこと、駅のある能代、深浦、五所川原、弘前のそれぞれで泊まったことなどを話しました。

お客様は喜ばれて、ご自身が集団就職で上京し、今では小さい町工場を経営していると教えてくれましたから、僕は「お客様は急行『津軽』ですね」と応じたのを覚えています。昔、上京して蓄えができた人が帰省に利用する「津軽」は、出世列車と呼ばれていたからです。お互いに笑い合いました。

お客様が実際にお乗りになったのは、寝台特急「あけぼの」だったと思います。「気をつけてお帰りください」と見送りましたが、その夜は運転しながら、自分のことでもないのに「今ごろ列車はどの辺りかな」などと、帰郷を待ち遠しく思うような気持ちになりました。

弘前のお客様といえば、もうひとつ懐かしい想(おも)い出があります。これも20年近く前になりますが、荷物を肩と手に一つずつ提げた40代の男性を上野駅の正面玄関口でお乗せしました。旅行帰りと思いましたから「どちらからお帰りですか」と聞きますと「弘前からだ」とおっしゃいました。

弘前の東にある故郷の黒石市から戻ったところとのことです。黒石と聞いて商家が並ぶ「こみせ通り」のことを僕が口にすると会話が盛り上がり、当時、偽書との評価が固まった「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」にも話が及びました。同書は北東北の豊かな古代文明が記述されたものでした。お客様とは、それがたとえ偽書であっても、北東北には古来、豊かな文化があったことにかわりはないとの感想で一致しました。

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深夜の夜鳴きそばに寄り道