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五輪金・野口みずきさん 燃え尽き症候群と無縁の理由

五輪金メダリストに聞く(中)

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NIKKEI STYLE

日経Gooday(グッデイ)

2004年のアテネ五輪マラソンで金メダリストに輝き、1年後のベルリンマラソンでの2時間19分12秒という日本記録を樹立。その記録はまだ破られていない。そんな輝かしい実績を残した野口みずきさんだが、2大会連続の金メダルを目指した北京五輪の前にケガをし、無念の出場辞退を発表。失意のどん底から何をきっかけに前を向くことができたのかを伺った。

25kmでのスパートはすべて納得済み

――前回では、2004年のアテネ五輪で金メダルを獲得したときのメンタルを中心に伺いました。女子マラソンは夕方のスタートでしたが、30度を超える酷暑で、高低差200mのアップダウンが続くハードなコース。そんな中で藤田信之監督が緻密な戦略を立て、25kmでの早めのスパートをするように指示が出されます。冷静な判断が求められる中、どんな思いで仕掛けられたのでしょうか。

28kmから最も急な勾配があり、32kmから長い下りが続くコースでした。他の選手は、その下りでラストスパートをかけようとしていたと思います。でも、私は上りよりも下りが下手なので、優勝候補のポーラ・ラドクリフ選手(英国)やキャサリン・ヌデレバ選手(ケニア)と一緒にスパートをしたら間違いなく離されると考えました。もちろん早めのスパートはリスクがありますが、私の得意な上りで勝負したほうが勝算があると思い、試走のときにスパートする位置を確認していました。

走り込んでしっかり準備ができていましたし、当日は体も軽かった。前半がスローペースだったことも味方し、トップ集団の選手の様子もしっかり見えていたので、監督の指示通りに動けたのだと思います。

――金メダルを獲得したときは、どんな景色が見えたのでしょうか。

五輪の偉大さを実感しました。競技場内すべての歓声を自分のものにした瞬間、何とも言えない気持ちになってこの時間がいつまでも続いてほしいと思いました。世界ハーフマラソンや世界陸上のフルマラソンでも銀メダルを獲得しましたが、それらとは比べものにならないほど、マスコミや世間の皆さんからの視線が集まってきました。帰国して、成田空港に着いたときの記者さんやカメラの数が驚くほど多くて、恥ずかしかったことを覚えています。

――すさまじいプレッシャーの中で勝ち取った勝利は、体も心もかなりのダメージを受けると思います。どのようにリカバリーされたのでしょうか。

レースの翌日だけ走らない日を作りましたが、2日後にはジョギングをしていました。ただ、酷暑の中で無理をしたせいか、レース後に吐いてしまったので、五輪での疲労は簡単には取れないだろうと藤田監督や広瀬永和コーチも心配していました。帰国後、人間ドックで検査を受けましたが、結果は「異常なし」でした。

帰国後は、お世話になった方々や企業への挨拶回りや、さまざまな場所での表彰式などに出席しなければいけなかったので、ジョギングぐらいしかできなかったんですね。それが休養代わりになって、1カ月後には通常のトレーニングを再開していました。

「燃え尽き症候群」にならなかった理由

――五輪の翌年、ベルリンマラソンで、2時間19分12秒の大会新記録で優勝し、日本記録を樹立されます。燃え尽き症候群(バーンアウト)にもならず、自己記録を更新できた要因は?

有森裕子さんや高橋尚子さんが、「五輪メダリストがプロになる」という前例を作ってくださいました。でも私の場合、監督から「もしお前がプロになるんやったら、俺らは練習を見いひんぞ」と言われていたのです。その言葉の裏には、純粋に走ることだけに集中して、マラソンを極めてほしいという思いがあったと思います。実際にテレビ番組の出演やCMのオファーもたくさんあったのですが、私自身も性に合わないと思っていたんですね。有森さんや高橋さんのようにきれいでオーラがあるわけでもないし、チョコレートのCMでニコっと笑って宣伝している自分が想像できなかった。だからプロの道は選ばず、オファーはお断りし、五輪前と環境を変えることなく、練習に集中できていたことが要因かと思います。

それに五輪での金メダル獲得は私にとって最大の目標ですが、競技人生における最高地点での目標ではありませんでした。プラチナメダルがあるわけではないけど、やっぱり次の目標は日本記録の更新だと。それはここでも、高橋尚子さんが金メダリストになった後に日本記録を樹立した(注:当時の世界記録)という前例があったからこそ、次の目標にフォーカスできたのだと思います。現役時代、高橋さんに憧れていたなんて口に出して言えなかったですが、やっぱり背中を見ていたんです。追いかけていたというよりも、高橋さんを超えたかった。

――だから次の北京五輪でも、金メダルを取る覚悟で挑まれるわけですね。ただ、アテネ五輪以降、ケガが多くなっていきました。

そうですね。これまでに疲労骨折など骨系の故障を経験しました。痛かったですが、私の場合は自分の体とうまく対話することで、すぐに治ったんです。つまり、整形外科のお医者さんから「疲労骨折です。1カ月は走ったらダメですよ」と言われても、少し休んでリハビリしながら自分の感覚で大丈夫そうだと思えたら、走るトレーニングを再開していました。骨系の故障は短期間で治っていたので、年間でみると結構走ることができていたんです。

でも、代表に選ばれた北京五輪の前に、太ももの裏を肉離れしてしまいました。アテネ五輪ではチャレンジャーとして挑みましたが、北京五輪で代表に選ばれてからはディフェンディングチャンピオンとして臨まなければいけないので、自分で自分にプレッシャーをかけていました。アテネ五輪よりもさらに強い脚力を求めて鍛えようとして、無理をしすぎたのだと思います。

肉離れをしてからジョギングしかできませんでしたが、五輪出場を諦めきれずにトレーニングしようとしていました。それも悪化させる原因だったと思います。

北京五輪欠場によるバッシング

――五輪の本番5日前に出場辞退を決められた時、どのようなお気持ちだったのでしょう。

もちろん悔しかったし、普通の精神状態ではなかったと思います。だから決断がギリギリになってしまった。監督たちもそんな私の気持ちを尊重してくれたので、結果的に迷惑をかけてしまいました。

欠場を発表した後、マスコミの方々から藤田監督や広瀬コーチに多くの電話がかかってきたようです。私自身は、監督やコーチから「すぐに北海道に行くように」との指示を受けて、北海道にいたので直接的なバッシングを受けることは多くはなかったのですが、その後も非難のメールや手紙が殺到し、「非国民」という声まで上がったみたいで……。後から事実を少しずつ知るわけですが、そうした多くの非難からも監督とコーチが盾になって私を守ってくれました。

一心同体で2大会連続の五輪で金メダルを取るために時間と労力を費やしてきたのに、監督やコーチ、スタッフには本当に申し訳ないと思いました。その後、講演会などに招いていただいても、「故障で出場できなくなって申し訳ございませんでした」とその場にいる皆さんに頭を下げながら、涙がこぼれたときもありました。

引退を思いとどまった広瀬コーチの言葉

――その後、ケガは?

五輪に出場できなかったという責任感から焦りもあったのかもしれませんが、自分の体と対話しても乗り切ることができず、数カ月たっても痛みは治まりませんでした。疲労骨折の時と同じように、「この程度なら試合に出られるかもしれない」と思って練習する。でも、肉離れはどんどん悪化していきました。肉離れはきちんと休まないと長引くんですね。筋肉系のケガは手ごわいと痛感しました。

結局、五輪後から1年半ぐらい、リハビリのみで走りこみができませんでした。痛みもあってストレスはたまるし、走りたいのに走ることもできず試合のスタート地点にすら立てない状態にイライラしていました。ポジティブだった私が、いつしか暗い表情でネガティブなことばかり言うようになり、広瀬コーチとぶつかることも多くなりました。

あるとき、何かをきっかけにコーチと言い合いになって、「もうこれ以上は治らないので、陸上をやめます!」とたんかを切ってしまったんです。そしたら「お前がやめるなら、おれも責任をとってやめるわ!」と言い返されました。コーチは私以外にも他の選手の練習を見ていました。そんなコーチになんて重い言葉を言わせてしまったんだろうとハッとし、踏みとどまれるきっかけになりました。20年近く指導してくださったのですが、ケガで苦境が続いても「お前の最後を見届けるまで、おれは絶対にやめない」とおっしゃってくださった広瀬コーチの言葉に本当に支えられてきました。

(第3回に続く)

(ライター 高島三幸、写真 水野浩志)

野口みずきさん
1978年三重県生まれ。宇治山田商業高校からワコールの実業団へ。グローバリーを経てシスメックスに移籍。ハーフマラソンで頭角を現し、世界ハーフマラソン選手権で銀メダルを獲得。2002年マラソン初挑戦の名古屋国際女子マラソンで初優勝、03年の世界陸上選手権で銀メダル、04年アテネ五輪では金メダルを獲得。05年のベルリンマラソンで2時間19分12秒の日本新記録を樹立。16年の名古屋ウィメンズマラソンを最後に引退。現在は、岩谷産業陸上部でアドバイザーを務める。

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