スケートボード(スケボー)の動画でブレイクした大学生ユーチューバーがいる。現役スケーターの岩澤史文(いわざわ・しもん)さん(21)。チャンネル登録者数は18万6000人にのぼり、独自のアパレルブランドやオンラインサロンもある。原点はいじめで不登校になったときにスケボーに救われた経験。一つひとつの動画作品に「すべての人が生きやすい社会」への願いが宿っている。
動画が映し出すスリランカの美しいビーチや茶畑。牛がたたずむ道路の先にある孤児院で、岩澤さんにスケボーを学ぶはだしの子らが笑い合う。東南・南アジアの子どもたちにスケボーを届けるSkateAid(スケートエイド)プロジェクトの一幕だ。
スケボーに救われた小学生
「孤児院など同じ場所で長く生活する子どもたちに新しい体験を提供したい」との思いで始めた。中高時代の仲間と一緒に現地へ赴き、事前のアポ取りが難しい場合は「スケボーを持って突然訪れる」という突撃スタイルだ。会ったこともなく、言葉も通じないのに「スケボーに乗るとみんな笑ってくれる」。それはスケボーの力を改めて感じる瞬間でもある。岩澤さんがその力を知ったのは小学生時代だ。
岩澤さんはチェコ人の母と日本人の父の間に生まれ、小学3年生のときに日本からドイツに移り、現地のインターナショナルスクールに通った。「英語しか通じない状況でなんとかサバイブしようと、とにかくコミュニケーションを取った」という。1年ほどで英語を話せるようになり周りともなじんだが、小学6年生の途中で日本に帰国すると、転校先でいじめにあった。
中学進学を半年後に控えたクラスは卒業モード。ハーフである岩澤さんに対し、同級生は「外国から来たヤツという扱いだった」。ドイツにはなかった数々の校則にも違和感を覚え「だんだん行かなくなってしまった」。両親が出勤すると一日中ひとりで自宅にこもるようになった。
そんな状況を見かねた両親が、クリスマスにプレゼントしてくれたのがスケボーだった。両親の通勤途中にあるスケートパークに通い始めると、常連たちが技やスケボーの手入れ方法などを教えてくれた。年齢も職業もバラバラな大人たちは「変な人ばっかりだった」と岩澤さんは笑う。だれも「なぜ学校に行かないの」とは聞いてこない。バックグラウンドを気にせず、「スケボーが好き」という気持ちだけでつながるコミュニティーが心地よかった。
帰国子女の多い大阪府内の私立中学に進学すると学校生活も楽しくなり、少しスケボーから遠ざかった時期もあったが、中学3年生になったころ本格的に再開した。放課後、同級生や年上の仲間とスケボー練習に熱中した。このときの仲間と一緒に動画を撮影し、投稿したのが、ユーチューブチャンネルを始めたきっかけだ。

当時は日本語でスケボーの技を解説する動画が見当たらなかった。「もともとものを作るのが好き」という性格も手伝って、動画編集にもどんどんこだわり始めた。金曜の放課後に仲間とスケボーを滑る動画シリーズ「金曜スケート」が若者に受け、登録者が伸びていった。
大学進学のため上京した後は、スケボーは趣味の枠を超えた。孤児院などを訪ねるスケートエイドプロジェクトもそのひとつ。その資金調達のためにネット上で寄付を集めるクラウドファンディングを利用し、自身の名にちなんだ独自のアパレルブランド「SHIMON.」も立ち上げた。インスタグラムのフォロワーも5万8000人に達している。スケボー界のインフルエンサーになった岩澤さんのもとには、スポーツブランドやショップなどのスポンサー案件や、動画制作の仕事も来るようになった。