感情に不要不急はない ドキュメンタリー映画に出演
立川吉笑
ドキュメンタリー映画に出演することになった。
今年、真打ちという落語家にとって最上位の身分に昇進した瀧川鯉八(たきがわ・こいはち)、来年5月の真打ち昇進が決まっている春風亭昇々(しゅんぷうてい・しょうしょう)、今年度の浅草芸能大賞新人賞を受賞した浪曲師・玉川太福(たまがわ・だいふく)という飛ぶ鳥を落とす勢いの先輩方とソーゾーシーというユニットを組んでいる。そのツアーの様子を中心に、映像作家のエリザベス宮地監督が「劇場版 高座から愛を込めて」というタイトルで1本の作品に仕上げてくださったのだ。沖縄・桜坂劇場を皮切りに今年から来年にかけていくつかの劇場で公開する予定だ。
初めて全国ツアーを開催することになった去年、「せっかくだったら記録映像を残しておけば自分たちの記念になるかも」と、それくらいの気持ちでエリザベス宮地監督にお願いした。お渡しできる予算も限られているから5カ所ある公演のどこかに同行していただいて「YouTubeにアップするためのちょっとした映像を作ってもらえたら」くらいのつもりのオファーだったけど、フタを開けたらなんと全公演に密着してくださり、さらには1本の作品として見事に仕上げてくださった。
「劇場版 高座から愛を込めて」の手法
先日届いた、完成したばかりの「劇場版 高座から愛を込めて」を見て、これが「ドキュメンタリー映画」という手法なのかと感動した。
ドキュメンタリー映画は「純粋な真実」を映しているわけじゃない。そこに監督の視点が存在する限りどこまでいってもその創作性、作為性はついて回る。厳密に言えば、僕たちは自分の視点でしかこの世界を知覚することができないのだから、純粋な真実などそもそも存在しないとも言えるけど。
「劇場版 高座から愛を込めて」ももちろんそうで、膨大な量の映像素材の中から最終的にはエリザベス宮地監督が選んだ場面だけがつなぎ合わされて約90分の作品を構成している。そこで映し出されているものは、僕が感じていた「純粋な真実」とは全く違うものだった。
観客としてドキュメンタリー映画が好きで、これまでも色々な作品を見てきたし、ドキュメンタリーといえど作り手の作為性が介入している以上はフィクションなのだと理解はしていたけど、こうして実際に自分が被写体となった作品を見るとそのことがよくわかる。
映っているのは確かに僕が選んだ言葉や振る舞いに違いないのだけど、監督の視点を通すと僕が思っていた以上の意味を帯びてくるのだ。いやもっと言えば、何も考えず自然に口から出た言葉とか、ちょっとした笑顔のような、僕を含めた誰にとってもすぐに消えてしまうような、意味のない「些細(ささい)な」言動が監督にすくい取られることで鮮やかに色づき始めるのだ。
「劇場版 高座から愛を込めて」は去年のツアー初日、東京公演のシーンから始まる。そこから、初顔合わせや愛知、大阪など各地での公演、千秋楽となった新宿末広亭での追加公演の様子が記録され、さらに年が明けて今年2月に開催した高円寺演芸まつりでの本公演や、猛威をふるうコロナ禍のために4月4日に初めてやった無観客配信、そして9月30日に開催した今年の東京公演までが収められている。
コロナ禍以前の映像が突きつけるもの
奇(く)しくも世界のあり方が一変したこの一年を記録した映像作品だから思いがけず劇的になっている。初めてのツアーに胸を躍らせながら各地を回っている映画前半の僕たちは、その後に全国ツアーどころか演芸会を開催することが難しくなる日が来るなんてこれっぽっちも思っていない。「来年真打ちに昇進します!」とうれしそうに話している画面の中の鯉八は、一生に一度の披露目がコロナ禍で延期になることをまだ知らない。いまある当たり前も、本当はいつなくなってもおかしくない。つい忘れがちなそんな真理をこの映画は突きつけてくる。
そう言えばと思い出した出来事がある。ソーゾーシーで無観客配信をした帰り道、監督と二人で話していた時のこと。全ての仕事がキャンセルになっていく不安を愚痴っぽくしゃべる僕の話を受けて、監督は「不要不急の仕事はあっても、不要不急の感情はないはずですよね」とポロっとおっしゃった。あの時のこの言葉が、映画の中のクライマックスとも位置づけられるような重要な場面に出てくる。そうか、あの瞬間に「劇場版 高座から愛を込めて」が生まれたのだなと思った。
ネタを作るとき、当たり前だけど最初が一番しんどい。切り口だったりメッセージだったりの、何を描きたいのか、何を言いたいのか、どうしたいのかという動機。そんなものが最初から浮かんでいることなんてほとんどなくて、大抵はこの日に披露しなくちゃいけないという締め切りが先にあって、そこから逆算して作業を始める。真っ白いノートとにらめっこしながら、ほんのわずかな取っかかりを探す。自分の心が動くそんな取っかかりが見つかれば、後はその先にあるものを手繰り寄せていく作業だから、ずいぶんと気持ちはラクになる。エリザベス宮地監督もきっと同じで、録画ボタンを押しさえすればとりあえず映像は撮影できるけど、さぁそこから何を描くのか、自分は何を言いたいのか、どうしたいのか、自問自答を繰り返されているに違いない。
記録映像を撮ってもらおうとエリザベス宮地監督にお願いした昨年のツアー。実は一番創造していたのは監督自身だったのかもしれない。
本名は人羅真樹(ひとら・まさき)。1984年6月27日生まれ、京都市出身。京都教育大学教育学部数学科教育専攻中退。2010年11月、立川談笑に入門。12年04月、二ツ目に昇進。軽妙かつ時にはシュールな創作落語を多数手掛ける。エッセー連載やテレビ・ラジオ出演などで多彩な才能を発揮。19年4月から月1回定例の「ひとり会」も始めた。著書に「現在落語論」(毎日新聞出版)。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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