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実在した「死者運ぶ」鉄道 ロンドン走る産業革命の影

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NIKKEI STYLE

ナショナルジオグラフィック日本版

19世紀の英国ロンドンは破裂寸前だった。産業革命をきっかけに、地方の若者が職を求めて押し寄せ、世界最大の都市は人であふれかえった。工場からすすだらけの煙が吐き出され、道路は馬のふんに覆われ、テムズ川は生活排水で大いに汚れた。

生きている人だけでなく、死者も混雑した。それまでロンドンの死者は教会の小さな墓地に埋葬されてきたが、人口が急増したおかげで、こうした墓地だけでは対応できなくなった。死者たちは小さな墓地にすし詰めにされ、大雨が降るたび遺体があらわになった。

1830年代、ロンドン初の大規模な民営墓地が認可を受けた。広く隅々まで手入れされた公園のような7つの墓地は、「マグニフィセント・セブン」と呼ばれたが、高価な墓地だったため、利用できたのは金銭的に余裕のある人々だけだった。

鉄道×墓地の壮大な計画

産業革命によるロンドンの人口急増と、それに伴う埋葬問題。起業家のリチャード・ブラウンとリチャード・スプライは産業革命の発明品に問題の答えを見いだした。鉄道だ。この新しい輸送手段が富裕層だけでなく一般大衆にとっての解決策になると2人は確信した。

ブラウンの死後間もなく発行された「英国人名事典」によれば、ブラウンは「いくつもの計画に忙しく取り組んだが、その大部分は夢のような計画」で、パンフレットや手紙で熱心に宣伝していたという。スプライは債権を支払えない者を収監する「債務者監獄」に入ったこともある弁護士だった。

2人は、ロンドン市民の遺体を永遠に埋葬し続けられる巨大な墓地の計画を練り上げた。

当時、ロンドンはものすごい勢いで拡大していたため、2人は郊外に墓地をつくることにした。手ごろな運賃の高速鉄道で遺族、会葬者、そして、ひつぎを遠く離れた墓地まで運ぶ計画だ。

1852年、ロンドン・ネクロポリス・アンド・ナショナル・モーソリアム社が設立され、ロンドンの南西約37キロのサリー州ウォキングに2平方キロ弱の墓地をつくる計画が始動した。契約の不備と内部紛争が原因で、ブラウンとスプライは会社から締め出され、1ペニーの報酬も得ることができなかった。

一般大衆も眠れる、自然の中の墓地

1854年、墓地が完成。当時の墓地としては世界最大で、ブルックウッド墓地と名付けられた。マグニフィセント・セブンの流れをくんでおり、広告には「木々と花々、曲がりくねった小道が織り成す豊かな風景、何よりも秩序に配慮した区画」と書かれていた。ロンドンの日常とは全く異なる空間だ。針葉樹の森に囲まれ、迷子になるほど広大だった。

ブルックウッドとマグニフィセント・セブンには決定的な違いがある。コストだ。ロンドンの労働者にとって郊外の墓地は、豪華な都市の墓地よりはるかに手ごろだった。ブルックウッドへの鉄道の旅は、短時間で安価でもあった。墓の価格もはるかに安い。鉄道のおかげで、自然の中で死者を哀悼することは、ロンドンのエリートのみに許されるぜいたくではなくなった。

 死者がブルックウッドで永遠の眠りにつくまでの流れは、極めてシンプルだ。まず、ロンドンのウォータールー駅にひつぎが運ばれ(通常は葬儀用の馬車を使う)、アーチ形の入り口を通過する。ロンドン・ネクロポリス鉄道のプライベートターミナルはその先にあり、地下にひつぎを納めるための共同保管庫がある。

朝、喪服姿の会葬者が駅に集まる。おそらく葬儀の招待状には、故人の名前と列車の出発時刻、帰りの列車の時刻が記されている。遺体は専用車両に積まれ、会葬者は割引乗車券を購入し、別の車両に乗り込む。毎朝、専用列車がウォータールー駅からブルックウッドに向かい、午後に戻ってくる。

旅の終着地は故人の宗教によって決まる。ブルックウッドには2つの駅がある。英国国教徒のための駅と「非国教徒」の駅だ。2つの駅舎は、待合室と葬儀の受付、従業員の住居、そして墓石のショールームを兼ねていた。

2つの駅は決して暗くもの悲しい場所ではない。どちらにもパブがあった。墓地で働いていたある従業員の娘が次のように振り返っている。「ロンドンから列車でやって来た会葬者が利用していただけでなく、地元の人々が午後のお茶を楽しむために歩いてくることもありました。パブとしての認可を受け、パブの営業時間を守り、主に地元住民のための娯楽になっていました」

計画通りにはいかなかった

墓地と鉄道の融合は計画通りに成功することはなかった。ブラウンとスプライは当初、年間5万人の遺体を埋葬する計画を立てていたが、開業後20年間の平均はわずか3200人ほどだった。100年後には500万人が埋葬されている予定だったが、実際は21万6390人にとどまった。

20世紀に入ると、火葬の人気が拡大。霊きゅう車が登場したことで、郊外の墓地に行きやすくなった。その結果、葬儀列車の需要は低下した。喪服姿で葬儀列車に乗り、近くのゴルフ場に安く行く人が頻発したため、鉄道会社は不満を募らせた。葬儀屋が墓地のパブで飲み過ぎるという報告も聞かれるようになった。1930年代には、葬儀列車が週2回を超えて運行されることすら珍しくなった。

1941年、追い打ちをかける出来事があった。ウォータールー駅の爆撃だ。ロンドン・ネクロポリス鉄道は廃線となった。ロンドン・ネクロポリス社は破綻を回避するため、ブルックウッドの使われていない土地を売却した。線路は撤去され、歩行者や自動車が通行できるようになった(駅構内のパブは何年も営業を続けた)。

墓地はその後ほぼ放棄されていたが、1970年代、瀕死(ひんし)の状態から回復し、現在は埋葬が行われている。開拓者精神に満ちたブルックウッドの歴史は今も、線路の一部、記念碑、墓地内のレールウェイ・アベニューという形で残されている。

次ページでも、かつてのネクロポリス鉄道にゆかりあるものや場所を写真で紹介する。

(文 KATIE THORNTON、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2020年11月21日付の記事を再構成]

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