ピカソにダメ出し? ビリギャルが出会ったアート思考
アートから学ぶ(後編)
私はアートが理解できない人なんだと思ってたけど、前回、美術教師の末永幸歩さんの話を聞いて、そもそも正解がないものだから、それでいいんだって言ってもらえて、すごく楽になった。正解のないことを自分なりに考えることを末永さんは授業を通して教えていて、それがどうやら「アート思考」というものらしい。子どもたちにどんな効果があるのかな? アート思考について、もう少し深く聞いたよ。
――アートを通して自分なりに考えることって、最近教育現場で大事だと言われている、「0から1を生み出す力」「知識を創造する力」とかとリンクするのかなって思った。その力を育むためのハウツーがアート思考かなって。
「私もそう思っています。私がやっている授業って、何か突拍子もないことをやっているのではなくて、それこそ本当に文部科学省が言っていることをやっていると思っているんですね。学習指導要領の総則を見てみると、探究型の学習とか、主体的な学び、生きる力が必要だと書いているじゃないですか」
――まさに新学習指導要領に何度も出てくる「主体的・対話的で深い学び」を引き出しているわけですね。もはや「美術」って言わないほうがいいのかも。
「そうですね。私の中ではもともと、『ものの見方が変わるアートの教室』と呼んでいました。もう少し言うと、自分なりの見方で物事を捉えて、自分なりの答えを出してみること、ですね」
――大人の社会でも、思考の枠を外していろいろなものの見方ができるようにならないとダメだって言われていて、だからデザイン思考やアート思考が注目されていますよね。
「デザイン思考とアート思考って似ているような名前ですけど、私は両者は少し違うなと思っています。デザイン思考の場合、何か課題が設定されている。あるいは、なくても自分で設定する。それを解決するために進んでいくのが、デザイン思考だと思います。他人や自分の外側が起点です。アート思考は自分起点で、自分の内側の疑問などからスタートして、探求していくものです。だからその成果やアウトプットは、副次的なものです」
表層的なテクニックだけでいいの?
――末永さんは、なぜそういうことを考える先生になったんですか?
「私は武蔵野美術大学に通っていた頃からアートって、作品をつくるとか絵を描くだけじゃなくて、アートを通して常識を疑ってみたり、自分らしい視点でものごとを捉え直してみたりするのが面白いとを感じていました。でも、いざ学校現場に行ってみると、全然それとは違って、やはりさやかさんも学校で経験したような、表層的なテクニックを身につけるような授業が多かったんです」
「年に1回、学校で作品展をしたりしますよね。そこでは全部の生徒が作品を完成させて展示することが目標になっている。しかも進みが遅い生徒には最後の2~3日に居残りさせて完成させる。でも私は作品ができるまでの探究の過程が重要だと思っていて。探究の過程が充実していれば、一見未完成に見えるようなものであっても十分評価できると思うんですね」
――テストの点数や作品自体の出来栄えだけじゃなくて、生徒一人ひとりの成長過程や思考過程を評価するのはアートに限らず今後どの教科にも必要になってくることだと私も思います。ちなみに、プロセスを評価するって、先生は膨大な労力がかかるような気がどうしてもしちゃうと思うんだけど、末永先生はどういう風にされてるんですか?
「私も一度、大学院で学び直しをしたんです。東京学芸大学大学院に通っていて、その附属の中学高校で教えていました。そこでは国際バカロレア教育という、ちょっと特殊な教育をしており、そこの評価方法に影響を受けました」
「バカロレア教育での美術の授業は、『ジャーナル』と呼ぶスケッチブックを生徒に渡して、そこにできあがった作品だけじゃなくて、制作過程で考えたことを文章やイラストなどで書いてもらい、その内容を評価するんです。私の授業でも、授業中に何か疑問を持ったり、思いついたりしたことを全部書いてもらいます。スケッチブックは最終日までずっと書いてもらうので、ものすごい量になります。最終的な作品の出来栄えよりも過程の方を重視するからね、という風に生徒にも伝えていました」
――その評価の仕方を生徒自身がわかっていると授業や課題に対する生徒の姿勢も変わってきますよね。生徒はその授業を受けるとどんな風に変わりますか?
「最初はさやかさんの学生時代と同様、美術なんかもう嫌だという態度で、斜に構えて授業に来る生徒もいます。でもそういう生徒に、例えばピカソの作品を見せるときに、素晴らしい作品ですよ、という見せ方をすると、たぶんそれだけで興味を失ってしまう。だから、例えば『ピカソの絵にダメ出ししてみよう!』という形でスタートするんですね」
「ダメ出しという名のもとで、どんどん面白くなっていって、最終的にはしっかり絵を見て自分の言葉でアウトプットします。すると、去年は作品ができなくて、ある意味問題児でしたという引き継ぎを受けていたような生徒も、すごく面白がって授業に参加してくれたりします」
大人や社会にあらがう子どもたちの表現欲
――これ持論ですけど、ギャルとかヤンキーだって、常に何かに疑問を呈する表現者だと思うの。大人や社会に対して不器用だけど一生懸命抗っている感じ。こどもたちは大人が思っている以上に、「これは何のためにやるんだろう」って、意義や目的をすごく大事にしているし、探していると思うんですよね。だから先生が「問い」だけ出してあげれば、子どもたちは勝手に想像して表現して、その枠をどんどん広げていける。そういうスキルを引き出してあげることが今まさに学校の授業にも求められていると思います。
「私も、先生はファシリテーターだということは、いつも心にとめていました。やはり先生と言うと、何か答えを持っている人、正解を与える人だと思いがちですよね。私の場合だと美術については生徒より深めている部分はあるので、その知識や考え方を使って、生徒の興味を触発するのが先生の役割だと考えています」
――中には、これをやって何になるのとまっすぐにきいてくる子もいると思うんだけど、そういう子に先生は何と答えますか?
「アーティストになろうとしているわけじゃなかったら、作品展のためにとか、先生に評価されるためにとかって、確かに無意味と言えますよね。でも、スケッチブックにいろいろ書き込んで自分で疑問を持って掘り下げていく時間って、先生のためにやっているわけじゃなくて、おそらく100%自分のために描いていますよね」
「人生100年と言われる時代の中で、与えられた課題をこなすとか、人のために何かするということじゃなくて、自分のために、ワクワクすることを探究していくというのって、ずっと必要だと思うんですね。学校だけじゃなくて大人になってからも。そんなことを子どもに伝えられればいいなと思います」
――学校の勉強で優劣つけられるのと違って、アート思考って、何も否定しないじゃないですか。だから自己肯定感が上がりそうだなって思いました。ワクワクすることを自分で見つけられる力を持ってほしいっていつも思っているんですけど、それがアート思考の根底にあるものですよね。
「アート思考法みたいに、方法論のような感じで捉える人もいるかと思うんですけど、手順のしっかりした方法論ではなくて、物事の見方が変わる、モードチェンジのようなものだと思っています。モードチェンジして世界と向き合ってみたとき、その10年後、20年後、いつか何か面白いことが起こるかもしれないという、もやっとしたものなんですよね」
「よく講演でも聞かれるのですが、この授業を受けてから生徒の行動が変わったとか、こういう成果が出たとか、進路に直接関係した、みたいなエピソードはあまりないんですよね。でもそれがアート思考らしいのかなとも思っていて。長い目で見て、大人になっても自分で探究することは面白いんだとか、自分の興味を大切にすることって楽しいんだと、そういう風に意識して学び続けることができればゴールなのかなと思います」
(文・構成 安田亜紀代)
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立ってきた。彫金家の曾祖父、七宝焼・彫金家の祖母、イラストレーターの父というアーティスト家系に育ち、幼少期からアートに親しむ。自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップ「ひろば100」も企画・開催している。著書に『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)
1988年生まれ。「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話」(坪田信貴著、KADOKAWA)の主人公であるビリギャル本人。中学時代は素行不良で何度も停学になり学校の校長に「人間のクズ」と呼ばれ、高2の夏には小学4年レベルの学力だった。塾講師・坪田信貴氏と出会って1年半で偏差値を40上げ、慶応義塾大学に現役で合格。現在は講演、学生や親向けのイベントやセミナーの企画運営などで活動中。2019年3月に初の著書「キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語」(マガジンハウス)を出版。19年4月からは聖心女子大学大学院で教育学を研究している。
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