Men's Fashion

タキシードにも「基本破り」 新時代のメンズアイテム

石津祥介のおしゃれ放談

石津祥介氏×鴨志田康人氏 対談(下)

2020.11.25

ファッションディレクター、鴨志田康人さんと服飾評論家の石津祥介さんの対談は後編に入り、トラッドスタイルの「遊び心」からコロナ禍の克服につながる意識改革へと話題が広がった。2人の意見が一致したのは、服が売れないと言われる今だからこそ、市場の動きに縛られず、需要を創る斬新な提案を打ち出す姿勢が大事である、ということ。鴨志田さんが店作りを監修したポール・スチュアート青山本店(東京・港)の一角で、ニューノーマル時代のメンズファッションについて意見を交わした。(この記事の〈上〉は「楽しいメンズショップをつくる 原点は『人』と『口』」




スーツ陳列120着、色も多様に

――こちらの店は奥行きと天井高が特徴で、スーツがずらりと並ぶ壁面は壮観です。

鴨志田「120着ほど並べています。でもスーツが主体のブランドであれば、かつては旗艦店であればこれくらいそろえているのが普通でしたよ」

――オリーブや茶、茶のストライプなど多彩です。鴨志田さんらしい色づかいが多いのではないでしょうか。

鴨志田「自分が来るまではこういう色が並ぶことはなかったんです。日本でポール・スチュアートといえば百貨店のスーツブランドで、紺とグレーばかりでした。でも本来、米国ではポール・スチュアートはソフトトラッドと呼ばれていて、ソフトカラーで、ちょっと甘い、アイビールックのイメージなんです。僕もそういうイメージを持っていたので、これらの少しヨーロピアンな色を取り入れてみました」

スーツがずらりと並ぶ壁面から好みの1着を探す。ワクワクしそうだ

――石津さんはポール・スチュアートにどんなイメージを持っていましたか。

石津「僕は、ポール・スチュアートに関する知識があまりない。1938年生まれの会社で、1818年創業のブルックス・ブラザーズとは違って新進気鋭の、おしゃれな店という感じを持っていました。仲間内ではモノがよくできている、と評判でしたよ。81年に神宮前の石垣のビルに店を構えたときは三峰さんが運営していました。ポール・スチュアートに行くことはVAN卒業生の夢だったね」