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東南アジアに拠点を移した宗吉氏はメコン川に臨む地に別荘を構えた(プノンペン)。アジアに持つ自宅は5つに及ぶ

東南アジアに拠点を移した宗吉氏はメコン川に臨む地に別荘を構えた(プノンペン)。アジアに持つ自宅は5つに及ぶ

新型コロナウイルス禍が変革の時代の扉を開いた。ビジネス環境は激変、予想もしなかった危機が表面化する。しかし、激変のときこそ勝負どころだ。総資産1200億円にまで成長させた会社がリーマン・ショックで倒産、650億円の負債を抱えながらも東南アジアへ舞台を移して再起を果たした不動産投資会社、クリード(本社シンガポール)の社長、宗吉敏彦(55)。まさにビジネスの奔流にのまれながらも、それを一転機としてきた男といえる。『アジア不動産で大逆転「クリードの奇跡」』(プレジデント社)に挑戦の軌跡を追った。著者が宗吉氏の人物像を語る。

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クリードの宗吉敏彦社長

クリードの宗吉敏彦社長

「人と同じことをしていれば、結果も人と同じだ。人がやらないことをやるからこそ、結果も非凡なものとなる」――。

宗吉のビジネスを支えるのはこうした考えだ。1989年に伊藤忠商事に入社、7年勤めたところで「人生で最も面白い30歳代に、最も面白い仕事をやってみたい」と辞めた。バブル経済崩壊からさほどの時間は経過していなかったが、伊藤忠時代に培った不動産ビジネスのノウハウを生かして96年、不動産会社クリードを立ち上げた。

その際、取り入れたのが「ディスカウントキャッシュフロー法(DCF法)」。企業価値の評価法の一つで、将来得られそうな利益からリスク要因を割り引き価値を算出する方法だ。今では不動産業界でも一般的になったが当時は最先端の手法だった。

土地の価値を収益性をもとに割り出し、その物件が適正に運用されていたと仮定して、本来見込まれる価格を試算、運用を適正化するためにかかるコストや時間を客観的にはじき出す。当時、日本で取り組んだ事例はほとんどなかった。

しかし、宗吉はそれをやった。「需要は必ずある」と見たからだ。バブル崩壊で銀行が抱え切れなくなった不良債権であろうと、「収益性を数字で合理的に説明することさえできれば、正常債権となる。触手を伸ばす外資系の投資ファンドは絶対的に必要な情報」と確信したからだ。

読みは的中した。不良債権を適正に値付けし直し、その土地を外資系企業に仲介した。いつしかクリードは「デューデリジェンス(資産査定)ができる日本の不動産コンサルティング会社」として広く知られるようになった。

クリードは単なるコンサルにとどまらなかった。私募不動産ファンド、不動産投資信託(REIT)の運用なども手がけた。

やくざに不法占拠された建物や土地を正常化して、債権として仕立て直すという仕事もこなした。まさに「人がやらないこと」だったが、宗吉にとっては「当たり前のこと」。法的手続きをとり、粛々と不法占拠者を立ち退かせていった。「怖くもなんともなかった」という。

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