タレント・山田邦子さん デビュー後もお年玉くれた父
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はタレントの山田邦子さんだ。
――にぎやかな家庭でお父さん子だったそうですね。
「父は行事が大好きでした。祭りや豆まき、七夕など家庭行事も旅行も率先して動き出しました。当時あった勝村建設で営業をしていましたが、なぜか川村学園(東京・目白)の中学生だった私を伴い、時には社長も一緒に全国の支店を回ることが多かったのです。『娘が宿で待っている』と言って、宴席を断る理由にしたのかもしれません。私はそんな父が大好きで、中学2年までいっしょに風呂に入っていたくらいです」
「86歳の母は脚が弱った以外は元気ですが、実は勝村建設の元受付嬢で"美人"です。父は会社が大きくなったのだから受付嬢が必要だと言って面接で母を選び、口説いて結婚したわけです。そんな母に2歳上の兄、私、8歳下の弟がいて最盛期の会社で父は大忙し。マイカーを買ったのもかなり早く、本当に昭和の幸せなサラリーマン家庭だったのだなと思います」
――娘の芸能界入りには反対だったとか。
「自分は娘を連れ回すのに、川村学園の修学旅行や友人宅でのお泊まりはなぜか厳禁。家ではコーヒーを絶対飲ませず、ソースも使用禁止で必ずしょうゆでした。父がいないとき母がこっそりサイホンを持ち出し、二人でコーヒーを『おいしい、おいしい』と飲んだものです。そんな頑固な父との関係に問題が起きたのは就職のときでした」
「実は西武建設から内定をいただいていました。父のつてです。制服を作り、健康診断も受けたのに、私は芸能界を選びました。毎日が刺激的で面白く新しい世界。西武建設に迷惑をおかけし父の顔には泥を塗りました。一年は口をきいてくれませんでした」
――どのように修復したのですか。
「デビューの1年後、西武建設におわびに行ったら逆に『テレビで活躍見てるよ』とみなさんに激励されました。そんな様子は父にも伝わったようです。3年目に父が好きだった時代劇に出たところ、『みんなが応援しているようだ。体に気をつけて頑張れ。父より』と手紙が来ました。とてもうれしかったです」
「別れは1998年に突然来ました。父が会社を引いて間もない67歳で、心臓疾患による急死でした。翌日も出かける予定で、上着のポケットには電車のチケットが入っていたそうです。不整脈で入院したことはありましたが、突然で言葉も出ませんでした」
「今思えば幼少時に両親を亡くした父は、心の底にさみしさを抱え、家族を自分の城と考えていたのでしょう。私のデビュー後も父は、亡くなるまで毎年『今年も(芸能人を)やるの?』と言いながら1万円のお年玉をくれました。芸能生活40年を迎えた今、そんな父の声を懐かしく思い出します」
(聞き手は生活情報部 礒哲司)
[日本経済新聞夕刊2020年11月17日付]
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