メニューはまろやかな酸味のカレー 謎の店名の専門店
史上最大の大混戦となった米大統領選挙。11月7日(現地時間)に民主党のバイデン氏が勝利宣言を行ったが、今回の選挙で大きな注目を集めたのが、史上初の女性副大統領となるハリス上院議員。7日には同氏も力強いスピーチを行い、ある意味バイデン氏以上の話題となった。これほど副大統領が大きな役割を果たした大統領選はないだろう。
実は、東京・渋谷の「奥渋」と言われるエリアに米国の副大統領にちなんだ名前がついた店がある。2019年にオープンした「ポークビンダルー食べる副大統領」(以下、副大統領)だ。なぜ、副大統領? ポークビンダルーって何? まるで謎かけのような店名だが、答えは意外にシンプルだ。
ポークビンダルーとは、南インド・ゴア州の酸味が特徴の豚カレーのこと。こう書けばお察しいただけると思うが、「副大統領」というのは、米クリントン政権で副大統領を務めたゴア氏のこと。つまり、ちょっとしたダジャレというわけだ。
こんな愉快な店のメニューは、看板料理のポークビンダルー税込み1000円のみ。物件のオーナーの依頼を受け、人気ポルトガル料理店「クリスチアノ」のオーナーシェフ、佐藤幸二さんがプロデュースを手掛けた。なぜ、ポルトガル料理店のシェフがインド料理店のプロデュースを?
ここでまた謎が持ち上がるが、こちらも答えは簡単。ゴアはかつてポルトガルの植民地であり、ポークビンダルーは、ポルトガル料理カルネ・デ・ヴィーニャ・ダリョシュをルーツとするカレーなのだ。最近では、スーパーで売られるレトルトカレーでも見かけるほど注目が高まっているカレー料理なのだが、「酸味と辛みって相性がいいんです」という佐藤さんの言葉に、人気の一端が垣間見えた。
店のプロデュースの依頼を受けたのは、佐藤さんがちょうどポークビンダルーにはまっていた時期だったという。「当時、ランチタイムにこれを出している店は結構あったんですが、僕が知る限り、ポークビンダルーを売りにしている店はほとんどなかった。プロデュースの依頼を受けたのはカウンターだけの小さな店なので、メニューを1種類にして、1つの鍋ですごくおいしく作れる料理をと考え、この店ができたんです」
料理を決めるにあたっては、カレーのスペシャリストとして知られる水野仁輔さんに、以前インドのカレーは基本的に家庭で食べるものなので、ひと鍋で仕上げるのだと、教えてもらったことも思い起こされたそうだ。
副大統領のポークビンダルーは、鍋にショウガ、ニンニク、タマネギ、トマトを入れ、カレーを足したらそこに水を入れてそのまま炊く。そして、狙いすましたタイミングで豚肉を入れる。使用するのは、酢とナンプラーなどを合わせた液に漬け発酵させた山形豚だ。
「味がまったく違う」と冷凍ではなくチルド(冷蔵)の肉を使用している。調理は、加熱時間をきっちり決め、余熱も計算に入れた上で行う。「だから肉が軟らかくておいしく仕上がるんです」と佐藤さんは言う。
インドでも発酵させた豚を使うのかと思いきや、「僕が勝手にレシピを作りました」と佐藤さんは笑顔を見せる。続けて、「ヨーロッパをはじめ長く海外で料理を学んできたものの、ゴアは行ってないです」とくったくない。佐藤さんの中では、ポークビンダルーはポルトガル料理を追求する中で出合った、一つの料理の形に過ぎないのだろう。
「現地の料理に近づけようとは思っていないんです。根っこにあるのは、とにかくおいしいカレーを作ろうということ。そもそもカレーに入った肉はおいしくないものが多い。例えば、火入れ加減がちょうどいいところで外に取り出すといった工程を踏まず、パサついていたりする。だから、具までおいしいカレーを作ろうというのが目的だったんです」
現地のポークビンダルーは、豚をヤシ酢などを用いてマリネするが、手に入らないため日本ではワインビネガーを使用する店が多いとか。だが、副大統領で用いるのは米酢だ。ワインビネガーでは酸が立ちすぎるのがその理由。「僕のレシピでは、酸っぱくするためではなく、辛みを引き立たせたり、トマトの甘みを際立たせたりするために酢を使っています。だから、ワインビネガーより甘みのある米酢を使うんです」
副大統領のカレーは、味の仕上がりを8割にとどめている。こちらもなぜ?と思ったが、やはり理由は明快だった。「1000円ぐらいのカレーって、だいたい単調な味わいだったりして食べているうちに飽きてくる。それで、お客様が自分で味変ができるのがいいんじゃないかと思った。調理の際加える液体が、だしではなく水であるもそのため。あえて味を少し単調にしているんです」(佐藤さん)
残り2割は、カウンターに置かれた4種類の自家製調味料で客が自由に「仕上げ」る。調味料に記された名前は、「難しくて覚えられないように」と考えたそうで、店名よりもぶっ飛んでいる。
ヨーグルトにニンニクと塩を入れた「ソルティヨーグルト」、生ショウガとクミンを合わせた「ファンタスティックジンジャー」、ナンプラー、酢、マスタードシードが入った「フィッシャーマンズヴィネガー」、そして煎りゴマ、きび糖、豆板醤がベースとなった「ローリングハリケーンチリペッパー」……。まるでカクテルの名前のようだ。
店のスタッフの沖村寛史さんは、「お客様に一番人気があるのはソルティヨーグルトですね。あと、フィッシャーマンズヴィネガーを、カレーではなくご飯にかけて召し上がる方もいます」と話す。無料のトッピングには砕いたパパド(インドの薄焼きせんべい)やゆで卵(1個)もあり、カレーにトッピングされて出てくるサラダやご飯はお代わり(無制限!)ができる。
ご飯やサラダ、カレーにそれぞれどの調味料をどうかけるかで味わいは大きく変わる。客の40、50パーセントはサラダやご飯のお代わりを頼むというが、お得感があるというだけでなく、色々な味変を試してみたくなるのだろう。ちなみに、沖村さんのお気に入りの食べ方は、ゆで卵にローリングハリケーンチリペッパーをかけること。「甘辛いので、卵と相性がいい」そうだ。
最後に。ポークビンダルーの「先祖」であるカルネ・デ・ヴィーニャ・ダリョシュは、クリスチアノのメニューに並ぶときもある。こちらは、まず白ワインと酢を合わせた液で豚肉をマリネ。タマネギとニンニクをオリーブオイルで炒めたところにこの肉を入れ、含め煮にした家庭料理だ。メニューで見かけたらオーダー必至、こちらもぜひお試しあれ。
(ライター メレンダ千春)
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