――専門の人類学に進んだ経緯を教えてください。

「科学者になりたい思いと、生物が好きという気持ちを抱えながら、物理や化学も面白いと感じていた大学2年生の時、『進化生物学』と『行動生態学』の講義を聞いて、これが一番やりたい、と思ったんです。動物の『進化』『行動』『生態』がキーワードですね」

「当時は研究室選びのためのオリエンテーションもなければ、研究室のウェブサイトもありません。やりたいのは動物だからと、動物学教室に突撃したところ、なぜか『うちでは進化と行動と生態については研究できません』と言われ、ではどこならできるのかと聞くと『人類学研究室でチンパンジーの研究ならできるのでは』と教えられました。それでしょうがなく人類学研究室に行ったんですね」

ドリトル先生みたいに広い世界へ

――チンパンジーに興味が?

「人類やチンパンジーに限った興味があったわけではなかったんです。ただ、チンパンジーも悪くないなと思ったのは、ドリトル先生みたいに探検がしたい、広い世界が知りたいという気持ちがあったからなんです。アフリカに行って野生の生き物を研究できる、見たこともない生き物に会えるということにワクワクしました」

――チンパンジーの研究から分かったことは何でしょうか。

「私が研究を始めた頃は、チンパンジーとヒトは共通の先祖がいてとにかく系統的に近いことを大前提とするスタンスが主流でした。ところが野生の中でチンパンジーを見ると、ヒトとは全然違う。人間はなぜ人間なのか。ゲノムがほぼ同じだとしても、なぜ人間は自動車をつくるのに、チンパンジーはつくらないのか。なぜ人間はチンパンジーの研究をするのに、チンパンジーは人間を研究しないのか。毎日、チンパンジーの行動を記録する中で、ヒトとは違うことが気になるようになったのが思考の転換点になったと思います」

――ヒトとチンパンジーの大きな違いはどこにありますか。

「心の持ち方ですね。例えば、チンパンジーのオスは見知らぬメスの子供を殺して食べちゃいます。見知らぬメスというのは、よそからふらっと来たメスなので、自分とは交尾をしていなくて行動も一緒にしていません。となると、子供も自分の子供ではないということになります。赤ちゃんチンパンジーが、5、6歳のお兄ちゃんチンパンジーの目の前で殺されるのを見てしまったこともあるのですが、このお兄ちゃんも一緒に赤ちゃんを食べていました。なぜ殺して食べるのか、なぜそういうことができるのか、私にはちょっと理解できませんでした」

1980年から2年間、タンザニア野生動物局に勤務し、野生チンパンジーを研究した(長谷川真理子さん提供)

「チンパンジー同士の関係を見ていても、人間のように心を共有しながらうなずきあったり、互いの目や顔を見あったりすることはありません。心のありようがすごく違うのではないかと感じ、だんだんチンパンジーではない別の動物を対象にしたいと思うようになりました。もっと動物らしい動物を対象にしようと。人間がなぜ心を共有できるのかということは、今でも行動生態学や進化心理学の大きなテーマであり、チンパンジー同士が何をどう思っているのかということも、まだ解明されていません」

――どうして人間の研究を始めなかったのですか。

「当時の私は進化・行動・生態という枠組みで人間という生き物にどうアプローチしていいのか分かりませんでした。複雑な人間の心からいったん離れて、まずはそういうことを考えなくていい動物をきちんと研究してみようと、ダマジカや野生ヒツジ、クジャクを対象にしました。ようやく45歳を過ぎた頃に、人間へのアプローチができるかもしれない、と自分で思えるようになりました」

(聞き手はライター 鴻知佳子、撮影 北山哲也)

長谷川真理子
1952年、東京都生まれ。76年東京大学理学部生物学科卒。タンザニア野生動物局勤務をはさみ、83年に東大院理学系研究科人類学専攻博士課程単位取得退学、86年に博士号(理学)を取得。英ケンブリッジ大でダマジカや野生ヒツジを研究後、米イェール大人類学部客員准教授、専修大法学部教授、早稲田大学政経学部教授などを経て、2006年に総合研究大学院大学教授に着任。17年より現職。著書に「モノ申す人類学」(青土社)、「進化とはなんだろうか」(岩波ジュニア新書)、訳書にダーウィン「人間の由来」(講談社学術文庫)など。

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