
不眠症の診断基準では、(1)入眠困難(寝つきが悪い)(2)中途覚醒(途中で目が覚める)(3)早朝覚醒、(4)熟眠障害が4大症状とされていた(過去形にした理由は後述する)。これらの不眠症状のうちの少なくとも一つが存在し、かつそのために日中の疲労・倦怠(けんたい)感、眠気、パフォーマンスの低下、いらいらや気分の不良など不調が生じている場合に不眠症と診断することになっている。
ところが、不眠症状、日中症状のいずれも、睡眠不足でもしばしば認められるため、診断基準だけでは不眠症と睡眠不足の鑑別が難しい。とりわけ、中年世代に入り不眠症と睡眠不足が混在するようになると、日中の体調不良がどちらが原因で生じているのか、ますます分からなくなってくる。実際のところ、疲労や眠気をはじめ、不眠症と睡眠不足には似通った症状が多く、ご本人が訴える症状だけでは見分けがつかない。加えて、頼みの綱の睡眠ポリグラフ検査も行える施設はごく限られており、国内に約800万人いる慢性不眠症患者に対応することなど到底できない。
4つの不眠症状の中で、臨床現場でもっとも曖昧だと不評だったのが(4)熟眠障害である。熟眠障害とは、睡眠の質が悪い、眠った気がしない、朝起きても疲れが取れていない、などの症状をさし、睡眠不足のときにも全く同じような症状が出る。深睡眠は保たれているのに「睡眠の質が悪い」と感じるのは不思議だと思われるかもしれないが、睡眠不足で睡眠充足感が乏しいと、質が悪いと感じてしまう。皆さんも体験があるはずだ。
とはいえ熟眠障害は患者さんにとって一番の悩みの種で、「朝起きた直後から気分が落ち込む」「一日が台無しになる」などとても苦しい症状であるため、熟眠障害が治らない限り治療に満足してもらえないことが多い。
眠症と睡眠不足を見分けるには
実際、不眠を訴えて受診してくる方の中で、治療によって(1)~(3)の不眠症状がある程度改善しても熟眠障害が持続して満足できない人が少なくない。ところが、熟眠障害だけが残存するケースをよく調べてみると、実は睡眠不足が原因であることが多い。すなわち不眠治療だけでは解決できないのだが、ご本人は不眠症状だと信じて疑わず「ぐっすり眠れる薬をください」と食い下がるし、医者の方も診断基準に熟眠障害が不眠症状として挙げられているので、効果が出るはずもない睡眠薬をとっかえひっかえ悪戦苦闘することが珍しくなかった。
このような経緯から、熟眠障害の取り扱いをどうするか論議が続けられていたが、最終的に不眠症の診断基準から「退場」を命ぜられることになった。睡眠障害のスタンダードな診断基準である米国睡眠医学会が編集した「睡眠障害国際分類」がその端緒を切った。1990年にその初版が発行されて以降、約10年に1度のペースで改訂されてきたが、2014年に発行された第3版で不眠症の診断基準から熟眠障害が削除されたのである。その理由は、不眠症以外の原因でも生じる非特異的な(鑑別診断に役立たない)症状であるため、普段の診療で誤診を招くだけではなく、新しい睡眠薬の治験や疫学調査などでも悪影響が生じかねないからである。
診断基準が改訂されたからといって不眠症の診断が楽になるわけではないが、「そのだるさ、本当に不眠症状ですか?」という教育的な効果はあったと思う。実は診療にひと手間かければ睡眠不足と不眠症の診立てはさほど難しくない。平日と休日を含めて2週間ほど日々の睡眠習慣を睡眠日誌などで記録してみるとよい。睡眠不足が強ければ週末や休日の寝だめ(リバウンド)が見られるし、不眠症が主体であれば日々のストレスに睡眠時間が影響されつつも総じて睡眠時間は短く、寝だめは目立たない。
毎日多数の患者を診察しなくてはならないかかりつけのドクターが短い診察時間内で睡眠日誌の記録を参照して指示するのは簡単ではない。ご自分の睡眠に不安を感じる人は睡眠の記録を付けて主治医に相談してみてはどうだろうか。最近では睡眠パターンを簡単に見える化してくれるスマホアプリやアップルウオッチのようなデバイスもあるので利用するとよいだろう。
秋田県生まれ。医学博士。秋田大学大学院医学系研究科精神科学講座 教授。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事など各種学会の理事や評議員のほか、睡眠障害に関する厚生労働省研究班の主任研究員などを務めている。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。
(日経ナショナル ジオグラフィック社)
[Webナショジオ 2020年9月10日付の記事を再構成]