NiziUを生んだJ.Y. Park ベスト盤で知る音楽の原点
ガールズグループのNiziU(ニジュー)を生んだ「Nizi Project」のプロデューサーとして、日本でも一躍"時の人"となったJYP ENTERTAINMENT(JYP)の創始者、J.Y. Park。特徴的なルックスと際立ったキャラクターでプロジェクト終了後もますます知名度は上昇している。10月には日本初のベストアルバム『J.Y. Park BEST』をリリースした。
一方で、オーディション中に練習生に投げかけるコメントは視聴者に強い印象を残し、その褒め方や面倒見の良さから、"理想の上司"の称号も手に入れた。一つ一つの言葉が説得力にあふれ、相手にしっかり届くのは、自身が"プレーヤー"として様々な努力と経験を積んできたことも大きい。
1994年にデビューして、チャート1位に輝いたのは6曲。今なお現役のアーティストとして活躍し、今年8月には、かつてJYPに所属した元Wonder GirlsのSUNMIとデュエット曲『When We Disco(Duet with SUNMI)』をリリース。MV(ミュージックビデオ)のユーチューブでの再生回数は約2600万回にのぼり、音楽番組でもセクシーなパフォーマンスを披露して話題になった。
ベストアルバムはデビューから現在まで、アーティストとしての歩みをたどれる1枚だ。『When We Disco』で見せた80年代のディスコミュージックをほうふつとさせるレトロなサウンドとダンスは、J.Y.Parkの真骨頂。デビュー以来、彼の音楽性の軸は、一貫してR&Bとダンスミュージックにある。
80年代、7歳から2年半ほど住んでいた米国でマイケル・ジャクソンに衝撃を受け、以来、彼はブラックミュージックに夢中になる。歌手を目指したのは、高校時代。きっかけは桑田佳祐率いるKUWATABANDの『スキップ・ビート』を聴いたこと。アジア人でもブラックミュージックをカッコよく歌えることに衝撃を受けたという。
大学在学中にグループのメインボーカルとして念願のデビューを果たすが、結果は鳴かず飛ばず。翌年に人気作曲家キム・ヒョンソクに出会い、作曲を基礎から教わったことが人生の可能性を大きく広げた。
自作曲を手に多数の芸能事務所のオーディションを回ったものの、ことごとく不合格に。東方神起や少女時代を擁するSM ENTERTAINMENTのオーディションで同社イ・スマン代表に「実力はあるが、顔が……」と落選を告げられるも「その曲だけ売ってもらえないか」と提案されたのは有名だ。
"その曲"が、94年のソロデビュー曲。オーディション時のバラード曲をダンスミュージックにアレンジし、奇抜なファッションとセクシーなダンスで視聴者の度肝を抜いた。一躍人気アーティストになり、以降もヒットを連発。90年代の韓国アーティストを代表する1人となった。
ベスト盤では、時代ごとのトレンドに反応しながらも、R&Bとブラックミュージックというベースを貫くJ.Y. Parkの姿勢が改めて感じられる。初回生産限定盤は封入特典として「J.Y. Park語録」付き。NiziUのデビューを待つ間、改めて彼の思想と音楽性に思いをはせるのに最適な1枚だ。
(日経エンタテインメント!11月号の記事を再構成 文/横田直子)
[日経MJ2020年11月13日付]
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