検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

NIKKEI Primeについて

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

/

コロナで再注目 石器時代からある手袋の意外な歴史

詳しくはこちら

NIKKEI STYLE

ナショナルジオグラフィック日本版

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、温暖な季節にもシックな手袋を少しだけ復活させるかもしれない。人類は何千年も前から、暖をとるため、ファッションのため、手を保護するために手袋をはめてきた。手袋は、英国王室の儀式から20世紀初頭の医療に至るまで、あらゆる場面で大きな役割を果たしてきた。

ステータスシンボルとして

古代の洞窟絵画を見ると、氷河期の石器時代にも、人類は何かを編んで作ったようなシンプルなミトンを使っていたことがわかる。現存する最古の手袋は、1922年にエジプトのツタンカーメン王の墓から発見された。紀元前1343~1323年に作られた、手首で結ぶタイプの麻製のおしゃれなものだ。

「馬で引く二輪の戦車に乗るときに使うものだと思われます」と、革と手袋の専門家で、『Gloves and Glove-Making(手袋と手袋づくり)』という著書があるマイケル・レッドウッド氏は言う。「これをはめて手綱を握るのですが、実用品というよりは象徴的なものだったのでしょう。古代の手袋は、王族にとっても、宗教にとっても、法制度にとっても重要な品でしたが、ツタンカーメンはこの3つを兼ねた存在でした」

当時、貧しい人や労働者は家庭で編んだ手袋を使っていて、上流階級の人々は布製や革製の手袋を使っていた。上流階級の人々にとっても、手袋は実用的なものだった。ホメロスの『オデュッセイア』にも、登場人物たちが棘(とげ)のある木から手を守るために手袋をするくだりがある。ヨーロッパの騎士は身を守るために(そして威圧感を与えるために)手首より長い金属製の「篭手(こて)」を身につけていた。

中世ヨーロッパでは手袋がさらに普及したが、五本指の手袋の製作にはミトンより多くの資源と技術が必要になるため、非常に丈夫なもの(戦士が使う鎖帷子(くさりかたびら)製の手袋や鍛冶屋が使う厚手の革製の手袋など)か、上流階級のファッションや儀式用のものしかなかった。

英国君主の戴冠式では、西暦973年のエドガー王の戴冠式以来、宮中の役人が君主の右手の手袋を外し、薬指に指輪をはめる儀式がある。1559年にエリザベス1世が即位式に臨んだときの手袋は、白のスエード製で、銀のふさ飾りがついていた。エリザベス2世が1953年6月2日の戴冠式で着用した真っ白な革手袋は、見た目に大きな違いはないが、より凝った作りになっていて、金糸で女王のイニシャル「ER II」の縫い取りが施されていた。

古代ヨーロッパでは、手袋を贈ることには、土地の譲渡や優遇措置を与えるという意味があった。騎士たちは戦いを挑むときに相手に向かって篭手を投げたが、この伝統の精神は後世に受け継がれ、紳士が決闘を申し込むときに手袋を投げるようになった。

エリザベス1世の時代には、ヨーロッパの上流階級は男性も女性も手袋なしで人前に出ることはほとんどなかった。ファッション史家で、米ニューヨーク州立ファッション工科大学博物館の館長でもあるバレリー・スティール氏は、「手袋の製作は複雑だったので、非常にぜいたくな品でした」と言う。ベネチア派の画家「ティツィアーノが肖像画を描いた16世紀の金持ちたちは皆、手袋をしているか、手袋を手に持っています」。またカトリック教会では、神父たちは純潔を示すために手袋をしていた。

ヨーロッパの宮廷では、宝石をちりばめた長手袋が男女を問わず人気だった。「長手袋にはしばしば香りがつけられていました。香りをつけることで、瘴気(しょうき)のせいでうつる病気を払えると信じられていたからです」とスティール氏は言う。香り付けにはハーブやスパイスが使われ、動物の排せつ物でなめされた革の悪臭を消すのにも役立っていた。

イタリア生まれのフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスは、16世紀のフランス宮廷で甘い香りのする手袋を広めただけでなく、これを使ってスペインの王族に毒を盛ったとして非難された。この噂話は証明されることはなかったが、何十年にもわたってささやかれ続け、アレクサンドル・デュマの1845年の小説『王妃マルゴ』に影響を与えた。

手袋産業の隆盛

18世紀から19世紀にかけてヨーロッパと米国が繁栄するにつれ、乗馬から宗教行事まで、あらゆる分野で多くの手袋が必要とされるようになった。「手袋は、中流階級や上流階級に属している証になりました。手袋をしていることは、それを買うお金があることと、太陽の下で素手で働く必要がないことを意味したからです」とスティール氏は言う。「つまり、何もする必要がない身分の証明でした」

19世紀の金持ちは1日に何度も手袋を取り換えていた。午後の外出には馬車遊び用の短い手袋を着用し、女性はパーティーで肘の上まであるオペラ手袋なども着用した。手袋は絹、綿、革(なかでも山羊革が珍重された)などで作られ、その多くが白かった。スティール氏は、「白い手袋はすぐに汚れるのでたくさん買わなければならず、頻繁に取り換えなければなりませんでした」と言う。

「手袋は、家の外に出るようになった女性たちの心もつかみました」と、英ヨーク大学の文化史研究者のスーザン・J・ビンセント氏は言う。「ガーデニング、ドライブ、氷河のトレッキングなど、女性たちが外で参加できる活動が増え、そのような場所に出て行くための服装が必要になったのです」

手袋に関連する複雑なエチケットや象徴も生じてきた。男性が手袋を外して握手をするのは信頼の証であり、女性が手袋を外してよいのは食事をするときだけとされた。手袋の普及とともに、手袋を収納するための細長い箱や、長手袋のボタンをかけるための編み針のような道具など、専用の品々も登場した。

 手袋を着用する人が増えると、最初はイタリアやスペインに、やがて英国や南北米大陸に、手袋の取引を中心とする町やコミュニティーが生まれた。英国では、1349年に設立され、今日も王室の行事などで活躍するロンドン手袋職人名誉組合を筆頭に、多くの手袋職人組合が組織された。米ニューヨーク州グラバーズビル(Gloversville)では、「手袋職人の場所」というその名にふさわしく、20世紀半ばまで、世界の手袋の約90%と、米国のなめし革の大半を生産していた。

手袋職人の男性は工場で働き、女性の多くは自宅で縫製をしていた。彼らは革の裁断の仕方や縫い方を工夫して、よく伸びつつも形を保ち、指にぴったりとフィットする手袋を作った。ほとんどの職人は、1764年にフランスで出版されたディドロとダランベールの『百科全書』に記されていたのと同じ、4つのピースからなる単純そうな型紙を使っていた。この型紙は今日の工場でも見られる。「この数百年、手袋の作り方は何も変わっていません」とレッドウッド氏は言う。「伸縮性のある素材は増えましたが、型紙はほとんど変わっていません。一見、単純そうですが、ぴったりフィットする手袋を作るのは非常に難しいのです」

ある愛の物語

職人たちは昔から手袋を使っていた。鍛冶屋は肘の上までくる耐火性の手袋をしていたし、庭師は丈夫な革手袋をしていた。しかし、医師が手術や検査の際に手袋を着用するようになったのは1894年からだった。それはラブストーリーとして始まった。

当時、米ジョンズ・ホプキンス大学病院の初代外科医長をつとめていたウィリアム・スチュワート・ハルステッドは、手術室看護師のキャロライン・ハンプトンに引かれていた。キャロラインの手は、病院内の消毒に使う石炭酸などの強い薬品でひどく荒れていたので、ハルステッドはゴム会社に彼女専用のラテックス手袋を作らせた。手袋のおかげでキャロラインの手荒れは治り、ほかの医療従事者たちも手袋を着用するようになったという。のちにキャロラインとハルステッドは結婚することになる(彼らの関係とハルステッドの生涯は、クライブ・オーウェン主演の2014年のテレビドラマシリーズ『ザ・ニック』のモデルになった)。

1960年代に帽子とともに衰退

20世紀に入っても手袋はまだ日常的に使われていた。ドライブ用手袋は男性が自動車を運転するのに便利だったし、女性たちは前世紀と同じぴったりした長手袋をつけていた。不思議なことに、1918年から1919年にかけてのインフルエンザのパンデミック(世界的な大流行)の際にも手袋は広く着用されていたが、手袋が感染を防ぐという認識はなかったようだ。「新型コロナウイルスではものの表面に付着したウイルスによる感染が警戒されていますが、『スペインかぜ』の時代には、人々は咳とくしゃみによる感染しか警戒していなかったのです」とレッドウッド氏は言う。

スペインかぜのパンデミックが終息した1920年代になると、新たな楽観主義と自由の風潮から、女性用の膝丈のフラッパードレスや男性用のカジュアルなスポーツウエアなどの新しいスタイルが生まれた。「女性の髪やスカートの丈が短くなっていったように、手袋も短くなり、フォーマルさは薄れていきました」とビンセント氏は言う。それでもドレッシーな手袋は消えなかった。女性たちは1960年代になっても社交や仕事の場で手袋を着用しつづけた。レッドウッド氏は、「女性たちはタイピングをするときにも手袋をしていました。すぐにインクで汚れてしまうので、非常に高くつきました」と言う。

1960年代後半の社会やファッションの激変により、とうとう「きちんとした社会では誰もが手袋をしなければならない」という考え方がなくなり、手袋は冬場や庭仕事に使う実用品になった。「女性が帽子をかぶらなくなったのもその頃です」とスティール氏は言う。「帽子やネクタイをしていないと品位を保てないというブルジョワ的な慣習は葬り去られ、人々は好き勝手な服装をするようになりました」

しかし、誰もがマスクをし、ひっきりなしに手を消毒している今日の世界では、そんな手袋が復活してくるかもしれない。スティール氏は、「おしゃれな人たちは、醜い紫色のラテックス製手袋を着用しつづけたくはないでしょう」と言う。「リトル・ブラック・ドレスならぬシンプルな黒い手袋を製造すれば、欲しがる人はきっといます」

次ページでも、様々な場面で活躍する手袋を写真で紹介しよう。

(文 JENNIFER BARGER、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2020年7月20日付の記事を再構成]

春割ですべての記事が読み放題
有料会員が2カ月無料

有料会員限定
キーワード登録であなたの
重要なニュースを
ハイライト
登録したキーワードに該当する記事が紙面ビューアー上で赤い線に囲まれて表示されている画面例
日経電子版 紙面ビューアー
詳しくはこちら

ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
春割で無料体験するログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
春割で無料体験するログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
春割で無料体験するログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
春割で無料体験するログイン

権限不足のため、フォローできません

ニュースレターを登録すると続きが読めます(無料)

ご登録いただいたメールアドレス宛てにニュースレターの配信と日経電子版のキャンペーン情報などをお送りします(登録後の配信解除も可能です)。これらメール配信の目的に限りメールアドレスを利用します。日経IDなどその他のサービスに自動で登録されることはありません。

ご登録ありがとうございました。

入力いただいたメールアドレスにメールを送付しました。メールのリンクをクリックすると記事全文をお読みいただけます。

登録できませんでした。

エラーが発生し、登録できませんでした。

登録できませんでした。

ニュースレターの登録に失敗しました。ご覧頂いている記事は、対象外になっています。

登録済みです。

入力いただきましたメールアドレスは既に登録済みとなっております。ニュースレターの配信をお待ち下さい。

_

_

_