進学よりも起業したい 自分の居場所は自分でつくるカケダスCEO 渋川駿伍さん(下)

カケダスCEOと日本ポップコーン協会の会長を兼務する渋川駿伍さん
カケダスCEOと日本ポップコーン協会の会長を兼務する渋川駿伍さん

高校卒業後、起業家兼ポップコーンの伝道師として活躍する渋川駿伍(しぶかわ・しゅんご)さん(22)。多くの人を巻き込んで「世の中をもっとワクワクさせる」ため奮闘しているが、中学までは周囲になじめず、いつも1人で図書館にいたという。転機となったのは、知っている人が誰もいない隣の市の高校に進むという決断だった。(前回の記事は「ポップコーン伝道師がキャリコン紹介 22歳の社会実験」

人との距離感をうまくつかめない小学生だった。教室は居心地が悪く、楽しいはずの給食の時間も、苦痛でしかなかった。歯磨きをして席に戻ると、のりのつくだ煮が机の上一面にべったりとつけられるといったいやがらせもあった。落ち着けるのは「そこにある本は全部読んだという自信があるくらい」という図書館のみ。ほかに居場所がないと感じたのは、中学でも同じだった。

ここにいてはダメだ

共働きの親には心配をかけたくないし、クラスメートに相談しても何も変わらないと思った。「このままここにいてはダメだ」。そう直感が働いた渋川さんは、地元長野市内の進学校ではなく、あえて隣の市にある県立須坂高校を選んだ。「勉強だけが取りえだった」が、周囲の反対を押し切った。ここからようやく「主人公」として自分の人生を生きられるようになった。

高校1年のとき、世の中の見方を変える出会いも経験する。アウトドア用品大手、スノーピークの山井太社長(当時)が高校で講演し、企業活動を通じて地方創生を目指していることを知った。「こういう方向性もあるのか」。父が公務員ということもあり、社会を変えるには行政にかかわるしかないと考えていたから、新たな道が開けた思いがした。それからは起業に関する本を片っ端から読みあさった。

本で得た知識を実際の組織で試したいという気持ちが膨らみ、生徒会長に立候補して当選する。「中学まではすでにつくられていたコミュニティーに無理に入り込もうとして、うまくいかなかった。やりたいことを自分で決め、自分から周りに声をかければいいんだ」。こう確信してからは、地元の高校生の有志を集めて地域を盛り上げるための「高校生カフェ」を立ち上げるなど、次々と企画を打ち出した。須坂高校の本多健一校長は、当時の渋川さんをよく覚えている。「自分の哲学を言語化できるだけでなく、相手をその気にさせる力も備えていた。カリスマ性があった」と振り返る。

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人生の脚本・監督・主演