子どもは消えた…足跡の化石が語る1万年前の子連れ旅
1万年以上も前のこと。1人の女性あるいは若い男性が、幼子を腰に抱え、せきたてられるように北へ向かっていた。現在の米ニューメキシコ州ホワイトサンズ国立公園でのことだ。泥の中を滑りながらはだしで歩く彼らの顔には、雨が打ちつけていたかもしれない。
途中、子どもをいっとき地面に下ろしながら、2人の旅は続いた。ついたばかりの彼らの足跡の上を、マンモスやオオナマケモノが横切って行った。何時間かして、旅人は南に向かって同じ道を戻って来た。今度は、子どもを連れていなかった。
時は過ぎ、現代の科学者たちが、1.5キロメートル以上におよぶこの往復の旅を物語る足跡化石を発見し、調査した。この時代のもので、これほど長く続く人間の足跡が見つかったのは初めてだ。論文は2020年10月9日付で学術誌「Quaternary Science Reviews」誌に掲載された。「こうしたものは今までに見たことがありません」と米チャタム大学の進化生物学者ケビン・ハタラ氏は話す。なお氏は今回の調査には関わっていない。
発見されたのは、小さな子どものものを含む400個以上の足跡だ。足跡の形状、構造、広がり方を分析することで、1人の古代人がこの地を越えて行った詳細な様子が、つるつるとした泥の上をつま先が滑ったことに至るまで明らかになった。
さらには、マンモスとオオナマケモノが人間が通った後に横切っていた痕跡も発見された。マンモスは近くにいる人間の存在を気にとどめなかったようだが、オオナマケモノは違ったようだ。足跡からは、オオナマケモノが後脚で二足立ちになったことが示唆されており、現代のクマのように人間のにおいを確認していた可能性がある。
「当時の生態系の中に生きた人々の様子を想像することができます」と、論文の著者である英ボーンマス大学の古生物学者サリー・レイノルズ氏は話す。オオナマケモノが人間の存在に気付いたらしいことについては、「骨の化石からはわからないことですよね」と指摘する。
まるで幽霊の足跡
足跡の化石は科学者に恩恵をもたらす。他の遺物からは計り知れない、大昔の行動の形跡が残されているからだ。「過去の生活を知るうえで最も大切なのは、もちろん骨の化石です」と米ニューヨーク市立大学の古人類学者ウィリアム・ハーコート=スミス氏は話す。「しかし足跡は、その一瞬に何が起きたかを教えてくれる特別なものです」。氏も今回の調査には関わっていない。
今回の足跡化石は、ホワイトサンズ国立公園で進行中の足跡発見プロジェクトの一環で発見された。公園の資源プログラム・マネジャー、デイビッド・ブストス氏の観察眼がプロジェクトの原動力だ。足跡は浅く、湿度のわずかな違いによって色がかすかに変化するだけだ。発見するのは簡単ではない。
「そんな幽霊の足跡のような化石に、彼は次々と気付いていったんです」。ブストス氏の観察眼について、レイノルズ氏はそう語る。
16年、ブストス氏はその足跡について様々な専門家に相談した。その中に、今回の論文の筆頭著者であるボーンマス大学の地質学者マシュー・ベネット氏がいた。以来、ベネット氏らの調査チームは何度もホワイトサンズに足を運び、人間と動物の足跡を公園内の各区域で記録していった。
レイノルズ氏によれば、地質的に厳密に言うと足跡はとても細かい砂の上に残されており、薄い塩の層によってその形が保たれているのみだという。チームは140個の足跡を注意深く掘り起こし、ブラシを用いてその繊細な構造をあらわにしていった。
しかし、足跡はいったん露出すると早々に崩れ始めてしまう。そこでチームは、写真を複数枚撮って立体的なモデルを作成する3次元(3D)フォトグラメトリー(写真測量法)と呼ばれる技術を使い、足跡を記録した。
「足跡を発掘したら、すぐに時間との闘いが始まります。すっかり消え去ってしまう前に記録しなければなりません」。レイノルズ氏はそう説明する。
小さな子どもの足跡
足跡の形状、大きさ、配置などから、この泥の上の旅路がどのようなものだったのかが推定された。現代人の足の長さとの比較に基づけば、主に足跡を残したのはおそらく12歳以上の女性か若い男性だ。途中、少なくとも3カ所で小さな足跡が現れる。3歳未満の子どもの足跡だ。
足跡の間隔からは、この旅人が時速6キロ前後で歩いていたと示唆される。小走りというほどではないが、泥で足元が悪かったことや、子どもを抱えていたことを考えれば、速いペースだと言えるとハタラ氏は話す。
ところどころ、歩幅が異様に大きい箇所があった。障害物をまたいだか飛び越えたようだ。「水たまりがあったのかもしれません」とレイノルズ氏は言う。「あるいは、ぬれたマンモスの糞(ふん)だったかも」
ただ、子どもが運ばれたのは、片道だけだった。北へ向かう旅路では、左の足跡が右の足跡よりもわずかに大きい。これは、片側の腰に子どもを抱えていたからかもしれない。また、足を滑らせたせいで、バナナ形に長く伸びた足跡もあった。ところが南へ戻る際には、両足の跡の大きさに違いが見られず、足を滑らせた回数も少ない。重荷がなかったことが示唆される。
先行研究においても、左右の足跡の大きさの違いは、重いものを運んでいた証拠ではないかと言われてきたが、ほとんどの場合は臆測にすぎなかった。今回の調査には、もう少し根拠がある。「この特定のケースにおいては、途中で子どもの足跡が唐突に現れることです」。ハタラ氏はそう指摘する。
この旅がいつ行われたのかを推定する際には動物の足跡が役立った。北へ向かう足跡が残されてから、マンモスとオオナマケモノがその上をまたぎ、さらに旅人が南へ戻るとき、彼らの足跡を横切った。この重なりからわかるのは、泥が完全に乾くまでの数時間の間に、全てが起こったということだ。現在では絶滅しているこれらの動物と人間の足跡が同時に見つかったことで、この古代の旅がおよそ1万年前の出来事であることがわかった。
彼らもまた「私たちと同じ」
17年、妊娠中だったレイノルズ氏の自宅に、夫であるベネット氏から、一連の足跡について知らせる電話がかかってきた。「彼は大喜びでした」とレイノルズ氏は回想する。
2人が特に心引かれたのは、旅人が子どもを連れていたことだ。「とても小さな足跡は、本当に予想外のものでした」。レイノルズ氏らはこの子どもの足跡を、まだ見ぬ娘に付けようとしていた名前にちなんで「ゾーイーの足跡」と呼んだ。
この冒険者について判明していることは少ない。何をしに、どこへ向かっていたのか? そして、子どもはどうなったのだろうか?
足跡を残した人は道をよく知っていたようだとレイノルズ氏は言う。別の家族や狩猟グループが暮らすキャンプへの道だったのかもしれない。「迷った様子がありません」と氏は指摘する。しかし、旅の終点はわかっていない。足跡は現在の米軍ホワイトサンズ・ミサイル実験場の中へ続いており、研究者たちは立ち入ることができないためだ。
足跡に記録された行動は、そう驚くものでもないかもしれないとハーコート=スミス氏は言う。人類は子どもを運ぶものだ。「全ての文化においてそうですし、類人猿においてもそうです」。しかし、そこには親近感を抱かせるものがあることも事実だ。
「彼らも私たちと全く同じだったと改めて気付かされます」と氏は言う。「日々感じるストレスは違うかもしれません。私たちの周りにマンモスはいませんから。けれど、私たちがこの地を歩くのと同じように、彼らも歩いていたのです」
チームは今もホワイトサンズ国立公園で調査を続け、遠い昔にここで暮らした人々の姿を詳しく描き出そうとしている。「知り得るとは思いもしなかった古代の暮らしや、他の動物や土地に対する当時の人々のあり方が見えてきます」とレイノルズ氏は語る。いずれはさらに多くの物語が、そして間違いなく多くの謎が、この土地から発掘されることになるだろう。
(文 MAYA WEI-HAAS、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2020年10月19日付の記事を再構成]
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