暗い10代、母を眺めた台所に今も安心感 バービーさん
食の履歴書
相方のハジメさんと徐々に男女の関係になっていき、締めにこちらを向いて「イエス、フォーリンラブ」。そんなコントでおなじみのお笑いコンビ「フォーリンラブ」のバービーさん(36)が無心になれる場所は台所だ。「暗かった」と振り返る10代のころもよく台所にいた。
自宅のぬか床で仕込みすぎたキュウリやパプリカなどのぬか漬け。これをまとめてミキサーにかけて細かくし、ドレッシングのベースにする。マヨネーズを合わせれば、タルタルソースになる。
「今までで一番、天才だな私って思った料理」。作りすぎたぬか漬けを消費できただけでなく、「味の深みがでたし、発酵食品だから体にいいし、ウィンウィン」。思わず台所でうなった。
消費期限を見ながら、いろんな食材の使う順番を考える。冷蔵庫にある物を組み合わせて、いかにおいしいものを作るか。「『○○(食材の名)、大量消費』っていう検索、めちゃめちゃします」
料理好きだ。休みの日は一日のほとんどを台所で過ごすこともある。でもそれは常に手の込んだ凝ったものを作るのとは違う。冷蔵庫がパンパンのときもあれば空っぽのときも。忙しいとしないし、食材の消費期限がどんどん迫り「なんでもかんでもぶちこんで、キムチ味にしちゃえばいっか」なときだってある。
北海道栗山町で4人きょうだいの末っ子として育った。両親がいそしむ家庭菜園で大根をとり、その場で包丁で葉を落としたり、枝になっているトマトをむしっておやつにしたり。豊かな自然のなかでワイルドに育ったが、「暗い10代だった」。人間とは何か。自分はなぜ生まれたのか。「思春期は生と死についてしか考えていないくらい、ずっと心ここにあらずだった」
そんなとき、入り浸っていたのが台所だ。狭くて、しかも片付けられない母が汚した雑多な空間。作業している母の後ろで、体育座りし「別にしゃべるでもなく、お母さんも親身になって聞くわけでもなく」。板の間の冷たさを感じながら、ただ料理を作っている母を眺めていた。
日々の食卓に上ったのは、実家の畑で収穫した野菜。「当時のトウキビは甘くないし、硬くて実は不ぞろい。まずくてむりやり食べてました」
大学はインド哲学科
生と死について考え続けた結果、上京し大学のインド哲学科に進む。「20代初めは過食気味なくらい、食べることで何かを埋めていたこともあった」。3合炊いたご飯を1日で食べたり、牛丼とラーメンとハンバーガーをはしごしたり、不安や虚無感をかき消すように、やけ食いした。
放送作家や脚本家になりたいと思っていた。大学4年生のとき、養成所の職員に薦められるがままに芸人の道へ。すきを狙って男性芸人の唇を奪う「キス芸」など、パワフルでがむしゃら、ちょっとセクシーなキャラクターで、あっという間にテレビでおなじみの顔になった。
人気を得る一方、多忙で離れていた台所だが、30歳ごろになり戻ってきた。今度はじっくり料理をするため。「野菜に触れるとか、こねるとか、切るとか、ちっちゃいころ外で遊んでいた感覚に戻れる。料理は自然にかえる時間」。実家の畑でむしったトマト、まずかったトウキビは自然とつながっていた証し。「自然を感じていないと窮屈になってしまう」。何をするということなく母が料理する姿を見ていた台所は今も落ち着く。
ただ20代のころは料理好きを公言してこなかった。理由の一つは「ブスは男の胃袋をつかめという風潮があったため」。料理は女性がするもの、モテるためにやるものという考えは根強かった。そういう意識の男性に料理を振る舞うこともしたくなかった。でも最近はそんな風潮が薄れてきたこと、それに「私、スパイス料理なんかは得意だし」。吹っ切れた。
突っ走った20代を経て、「バービーとして以外の、自分が好きなことをしていいんじゃないかなって」。今は、地元の町おこしに携わったり、様々な体形に合う下着をプロデュースしたりと、芸人以外の顔を見せる。
最近久しぶりに実家のトウキビを食べた。「両親の腕が上がって格段においしくなっていた」
普通子どもが帰省したら、ごちそうを用意するものだろう。「うちはいつもトウキビ。なんで?」。自分が家庭菜園を始め、その理由が分かった。今年育てたキュウリもゴーヤーも「実をつけなかった。両親は一つなったときの『喜びの品』を私にくれてたんだ」。
【最後の晩餐】 魚卵が好きなので、イクラ、筋子、数の子、そしてキャビア、魚卵をすべてのっけた丼を食べたいですね。あと、普通の卵とあん肝も。ねっとりとした感じが好きなんです。おコメは魚卵がからむ「ななつぼし」で。日本酒、いやキリッと冷えた白ワインですかね。
私食店 他にないモチモチ麺のチャンポン
お笑い芸人の道を進んで1年ほど、東京・銀座の駐車場で管理人のアルバイトをしていた。お金がなく納豆ごはんの日が多かったが、銀座ランチをする日に行っていたのが中華だ。
現在は東京都千代田区の神田駅からほど近くに移転した「天津飯店」(電話03・5577・5218)。「当店看板そば辛口北京チャンポン」(税別800円)は「韓国にあった中華料理店のジャージャー麺をヒントに、45年ほど前に考案した」と店主の謝茂根さんは話す。
「この麺がほかにないんです」とバービーさん。自家製の手打ち麺は「小麦粉と水と塩のみで、うどんに近い」(謝さん)。つるつるモチモチの食感で、魚介のうまみと野菜の甘みが溶け込んだスープがよく絡む。見た目ほど辛くなく、うまみの後に、じんわりと辛さを感じる。
(生活情報部 井土聡子)
[NIKKEIプラス1 2020年10月31日付]
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