ソウルフード卵かけご飯 日本でこれだけ広がった理由
ボンジュール! パリからお届けする「食の豆知識」。さて皆さんは10月30日が何の日かご存じだろうか? 答えは、日本人のソウルフードの代表格、「たまごかけごはんの日」だ。卵かけご飯は、専用のしょうゆも何種類も販売されており、TKGと呼ばれ多くの日本国民に愛されている。
この記念日は、島根県雲南市吉田町にある「日本たまごかけごはんシンポジウム実行委員会」によって制定された。同委員会事務局の吾郷雄太さんによると、「10月30日に記念日を制定したのは、2005年に初めて同シンポジウムが開催された日であること。加えて、新米のご飯が食べられる、鶏にとっても過ごしやすくなる、新しょうゆが出回る、この3つの時期が重なる10月が卵かけご飯を最もおいしく頂ける時期と捉えたからです」とのこと。毎年この時期に開催される同シンポジウムには、県内外から多くの卵かけご飯好きが集まるが、今年はコロナの影響もありオンラインで様々な企画が催された。
「生卵×ご飯×しょうゆ」。日本では、ともすれば「手抜き飯」と捉えられがちな卵かけご飯。ところ変われば、それは一気にごちそうに変わる。
筆者は、自他ともに認める筋金入りの卵好きだ。無論卵かけご飯にも目がない。炊飯器がないパリの自宅で、毎回貴重な日本米を鍋で炊き、通常の卵より約3割高価な有機卵を炊きたてご飯にかけて頂くのは、故郷に思いをはせる大切なひとときだ。そして喜々として卵かけご飯を食べる筆者の姿を、まるで珍獣でもみるかのような目でみつめる仏人配偶者。彼は「卵を生で食べるなんてアリエナイ」と、かたくなに卵かけご飯の存在を否定する。
ふと思う。なぜこんなにも、日本人は卵が好きで、生食することに抵抗がないのだろうか。卵好きな日本人は、まずデータから読み取ることができる。IEC(国際鶏卵委員会)による、2019年の主要国1人当たり鶏卵消費量を見ると、なんと日本は世界第2位。1人当たり年間338個だ。ちなみに1位はメキシコの372個、3位はロシアの306個で、ここフランスは20位の223個。
さらに、農林水産省による2019年の国内食料自給率をみてみると、日本の食料自給率(生産額ベース)は総合66%のうち、鶏卵は96%。日本人は国内で作られた卵を、ほぼ毎日、1人1個消費しているということになる。
これだけ消費していれば、その食べ方も多岐にわたる。ざっと思いつく日本独特な卵料理だけでも、卵かけご飯、味付きゆで卵、煮卵、温泉卵、卵豆腐、だし巻き卵、丼ものなどなど。世界中のどこを見渡しても、駅のホームで半熟のゆで卵が気軽に買える国なんて見つかるまい。
中でも卵の「生食文化」は、世界に類をみない日本独特のものだろう。ここフランスでは、小さめのスーパーでさえ卵売り場はこんなに充実しているけれど、通常の卵を買ってみると、表面に毛がついていたり汚れていたり、さらにはヒビが入っていたり割れていたりしていることが多々ある。よって、一般家庭で卵を生で食べることは基本しない。
ちなみに冒頭で筆者が「有機卵を卵かけご飯に」と言っているのは、有機のものであれば生食でも大丈夫だろうと、まことしやかに在仏日本人の間で囁(ささや)かれているからであり、すべては自己責任。毎回少し緊張しながらいただいている。
フランスのカフェやレストランで供される定番料理で唯一思いつくのが、卵黄ののったタルタルステーキだろうか。これも店によってスタイルが大いに異なり、卵黄がのせられてこないお店も多い。
やはり日本の生食文化のポイントは衛生面にあると推測した筆者は、卵の専門家に尋ねてみることにした。日本養鶏協会の信岡誠治さんによると、「卵の生食については、刺し身などで魚を生で食べる文化が歴史上の背景としてあるほか、何より日本の卵自体が安全に生食できることが最大の特徴です。というのも、生産段階、流通段階を通じて徹底した衛生管理と温度管理を行い、卵の内部と外部の両面から、食中毒事故の原因となるサルモネラ菌を完全にコントロールをしているからです」とのこと。
一方、海外の卵についてはどうだろう。「日本のような対策が徹底できていないことから、卵による食中毒事故が海外では多発している現状です。例えば米国。連邦法では卵の生食は禁止となっていませんが、州法で『レストラン等で生卵の提供禁止』を定めている州もあります。また最近、アジア諸国や米国の一部の島に、日本から鶏卵の輸出が急増しています。諸外国ではまだ安心して卵が生食できる態勢が整っておらず、生食の卵は日本からの輸入に依存しているのが現状です」(信岡さん)
やはり卵の生食のカギは、「清潔・安全・安心なジャパン・クオリティー」にあったのだ。しかも日本の生食できる安全な卵が海外にどんどん輸出されているとなれば、日本発の卵かけご飯がスシやヤキトリのように世界の常識になる日もそう遠くはないのかもしれない。
ここで、原点に立ち戻ってみよう。最初にこのミラクルフード、卵かけご飯を生み出した人物は一体誰なのだろうか。有力説の1つといわれるその人物の出身地が、岡山県美咲町。同町役場の川島聖史さんに、パリからお話を伺うことができた。
「日本で卵かけご飯が広まるきっかけは、1927年の雑誌に、同町出身の岸田吟香(ぎんこう)さんが『温飯を盛らせて鶏卵3、4個を割り、焼き塩とトウガラシを振りかけて食べた』とのエピソードがあったからと言われています」(川島さん)
この岸田吟香が、これまた大変ユニークな人物。幕末から明治にかけてジャーナリストとして活躍したほか、日本初の本格的な和英辞書や液体目薬を世に生み出すなど、非常に多彩な才能で文明開化に大きく貢献したという。ちなみに、洋画家で名をはせた岸田劉生は彼の四男にあたる。
川島さんはこう続ける。「岸田吟香の出身地、人口1万4000人に対し約120万羽の鶏が毎日100万個の卵を生む、卵の一大生産地、そして日本の棚田百選の『棚田米』を結びつけて卵かけご飯を『町の文化・歴史の詰め合わせ丼』と位置づけ、町おこしを企画しました」。
数ある町おこし企画の一環として、生卵をスプーンで次々と渡していくギネス世界記録にも挑戦、他企業が所持していた記録を超え、見事ギネス認定された(2019年3月10日、353人)。
パリとの意外なつながりも伺うことができた。
「美咲町はパリ帰りの芸術家が複数おり、『美咲芸術世界』というアートイベントを毎年開催しています。開催期には、パリからも芸術家がたくさん訪れ、皆美咲町の卵かけご飯を思う存分食べて次なる創作への意欲を高めています。私はいつか、美咲町のTKGが世界に羽ばたく日を夢見ています」(川島さん)
そんな川島さんの熱い思いを受け、私は今日もパリで卵かけご飯と向き合っている。日本で日々生み出されている幾千を超える卵かけご飯ラインアップには到底かなわないので、最近筆者がハマっているパリ流卵かけご飯を最後に紹介しよう。
最近、海外在住者の中でSNS(交流サイト)を中心に話題沸騰中の、ロシア食材店で買えるロシア産の生たらこ缶。フランスの場合、たらこは日本食材店かアジア系スーパーの冷凍モノでしか入手できないので、この生たらこ缶は海外在住者の希望の星だ。こちらに本場フランスのバター、お好みでちょろりとしょうゆをかけ、ぐちゃぐちゃに混ぜて、いただく。最高という言葉はこの食べ物のためにあるといっても過言ではない。
食中毒、コレステロール、プリン体には注意しつつ、これからも故郷日本の味を、ここパリで噛みしめたいと思う。
(パリ在住ライター ユイじょり)
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