勝ち取った永住権、サングラスに込めたジョンの思い

2人が勝ち取った成果の1つがジョンの米国永住権(グリーンカード)。法廷闘争の末、75年10月7日にようやくニューヨーク州最高裁がジョンへの国外退去命令を破棄するという判決を下した(その2日後に息子ショーンが誕生)。翌76年7月27日にジョンは晴れて、米国での永住権を正式に取得する。「私たち夫婦への嫌がらせだったけど、苦労してジョンのグリーンカードを何とか勝ち取ることができた。でもトランプ大統領がいるので、また私もいつ国外に出て行けと言われるか分からないわ」と不安を見せる。

1980年代初頭にヨーコさんが愛用していたポルシェデザインのサングラス。銃撃事件が起きる前、ジョンがかけるように勧めてくれた

ヨーコさんが愛用していたサングラスにもジョンとの大切な思い出が込められている。

アルバム「ダブル・ファンタジー」(80年発表)の制作中だったある日、2人はニューヨークの百貨店「サックス・フィフス・アベニュー」まで散歩に出かける。「すると眼鏡売り場で、ジョンは黒い大きなレンズのサングラスを取り上げて私にかけさせたの。そして私の顔を見ながら『君はいつもこれをかけているといいよ』と言ってくれた。最初はその意味が分からなかったけど、私たちはカメラにいつも追いかけられて写真をたくさん撮られていたでしょう。だから、ジョンは私にサングラスをかけさせることで守ってくれようとしたのね」

ジョンの銃撃事件が起きる少し前のことだったという。以来、ヨーコさんはこの大ぶりのサングラスをかけてメディアに登場することが多くなった。「ジョンの大切な思いが込められているから……」。このポルシェデザインのサングラスも展覧会場に展示されている。

「イマジン」共作が正式認定、ヨーコさんが身を引いた理由とは?

ジョンがニューヨークのヒルトンホテルのメモ用紙に書いた「イマジン」の歌詞のレプリカ

不朽の名作「イマジン」にもエピソードが多い。リリースされた71年から46年後の2017年、同楽曲の共作者としてヨーコさんの名前がクレジットに追加されることが米音楽出版社協会により正式に認められた。生前、ジョン自身もそう希望していたという。

ヨーコさんの詩をまとめた作品集「グレープフルーツ」を読めば、「イマジン」の歌詞が明らかに大きな影響を受けていたことがすぐに分かる。「実はあの曲はジョンと私が一緒に作ったのよ。でも、私はそうだとはずっと言わないようにしてきたの。もし私との共作として発表していたら、世界の皆が曲をちゃんと聴いてくれなかったと思うから」

楽曲を世界に普及させるために、あえて自分は身を引いたというわけだ。

でも正式に「イマジン」の共作者として認められたヨーコさんは視線を上げ、言葉の調子を強め、晴れ晴れとした表情でこう強調してみせた。「まあ、色々なことがあったけど、結局、私は『イマジン』を作るために生まれてきたような気がするのよ……」。ヨーコさんの満足そうな表情と相まって、それはインタビューを通して筆者が感じた最も印象的な言葉だった。

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ジョンと出会った個展、「想像」がつないだ2人の運命