誰を優先すべき コロナワクチン配布で問われる公平性
新しいワクチンが承認されるたびに、保健当局は、最初に誰に接種するべきかという難しい問題を考えなければならない。通常は医療従事者が優先されるが、2009年に新型インフルエンザ(H1N1型)が流行したときには、重症化リスクの高い人々も優先された。
世界中の人々が待ち望む新型コロナウイルスワクチンについては、新たに考慮しなければならない要素がある。公平性だ。
全米医学アカデミーは2020年10月2日、米国立衛生研究所(NIH)と米疾病対策センター(CDC)からの委託で作成した237ページにおよぶ報告書の中で、新型コロナワクチンの配布に関する提言を明らかにした。
報告書は、完成したワクチンを4段階に分けて配布するように提案している。当然ながら、最初に接種を受けるべき人としては、医療従事者、警察官や消防士などの緊急対応要員、基礎疾患のある人、グループホームに住む高齢者が挙げられている。世界保健機関(WHO)も同様の勧告をしている。
だが報告書は、今までにない提言もしている。それは、CDCの「社会的脆弱性指標」のスコアが高い人々を優先することだ。これは貧困、乏しい交通機関、狭い住居での密集した生活など、健康状態の悪さと関連づけられる要因を数値化したものだ。
報告書を執筆したウイルス学者、疫学者、経済学者などからなる委員会は、パンデミック(世界的な大流行)がマイノリティーや貧しい人々に深刻な影響を及ぼしている現状を是正し、「健康の公平を促進する新たな取り組みを行う」ことが目標だと述べている。
格差の存在は明らかだ。米国ではアフリカ系、ヒスパニック系、アメリカ先住民が新型コロナウイルスに感染する確率は白人の3倍で、黒人の死ぬ割合は白人の2倍に上る。
「すべての人々を平等に考えること。そして、アフリカ系、ヒスパニック系、アメリカ先住民を不健康な状況や職業につかせている社会的不平等やその要因に対処すること。この(報告書で提案された)アプローチにより、それらが可能になります」。委員会のメンバーであり、米テキサス大学オースティン校デル・メディカルスクールのジュエル・マレン健康公平性担当副学部長はそう話す。
報告書には含蓄に富む指針が示されているが、それをどのようにして実践するのか、また、前例のないワクチンの配布と接種に向けて国が準備を進める中で、状況次第で指針がどう変化するかは定かではない。
誰を優先するか、4つの段階
新型コロナウイルスは感染しやすいため、優先的にワクチン接種を受けられる人を当局が決定するにあたっては、「グループホームに集まって生活している」「感染しやすい環境で働いている」などの社会的基準を考慮する必要がある。
報告書ではまず、感染リスクが高いヘルスワーカーに加えて、バスの運転手、食料品店の店員など、社会を動かす上で必要不可欠な仕事を担うエッセンシャルワーカーに接種する重要性が強調されている。
第2段階の対象者は、65歳以上の高齢者、幼稚園から高校までの教師、学校職員、保育士のほか、食肉加工場などソーシャルディスタンス(社会的距離)をとれない環境で働く労働者、グループホームやホームレスシェルターの居住者や職員、刑務所や拘置所の収容者や職員などだ。
子ども、30歳未満の成人、その他のリスクの高いエッセンシャルワーカーは、第3段階の対象者となる。第4段階は、その他米国に居住するすべての人だ。
報告書は今後、「予防接種の実施に関する諮問委員会 (ACIP)」によって検討される。CDCに対して認可ワクチンの使用に関する公共政策の勧告を行う非政府組織だ。その提言に拘束力はないものの、基本的には採用される。また、州や郡の実情に合わせて柔軟に実践できる余地を残した提言となる。
どうするのが公平か
ACIPのホセ・ロメロ委員長によると、ACIPと全米医学アカデミーは健康の平等を促進するという使命において「一致」しているものの、ACIPが最終的な指針を出すのは、どのワクチンが承認されるかが明らかになってからだという。
「私たちの提言は、新しいワクチンが出て、その効果を見極めるたびに変わるかもしれません」とロメロ氏は言う。「例えば、高齢者にはあまり効果がないとわかったら、若者に優先的に接種することになるでしょう」
公平さを考慮して、医療資源を振り分ける優先順位が決められた例は、今回のパンデミックですでに存在する。
6月にレムデシビル(トランプ大統領にも最近投与された臨床試験段階の抗ウイルス薬)の供給が不足したとき、米ピッツバーグ大学医療センターは、この薬を投与する患者を決める際に重みを付けた抽選を行った。レムデシビルは患者4人につき1人分しかなかったが、恵まれない背景を持つ患者は3人に1人の確率で当選するようにしたのだ。感染リスクの高い仕事をしている医療従事者やエッセンシャルワーカーも同様の扱いにした。
その際、患者の年齢、人種、民族、障害、支払い能力、世話を必要とする子どもの有無などは考慮せず、代わりに「地理的はく奪指数(地域の社会経済状況の指標)」という尺度を用いた。これは米ウィスコンシン大学が開発したデータベースに示されており、所得、教育、住居など十数種類の変数が組み込まれている。
「貧困や医療へのアクセスの悪さ、失業など、旧来からの不利益により死亡リスクが高い人がいるなら、私たちは、そうした不利益を軽減するために手段を講じます」とダグラス・ホワイト氏は説明する。氏はピッツバーグ大学で救命救急医療における倫理と意思決定に関する研究プログラムを率いる。この投与モデルは今後、回復期血漿(けっしょう)やモノクローナル抗体などが不足した際にも利用されるかもしれないと氏は話す。
物流は難題
州や郡の保健当局は、これらの推奨事項の一方で、確保できたワクチンをどのように配布するかという現実に直面する。アザー米厚生長官が10月上旬に発表したところによると、米政府は23の施設における6種類のワクチン候補の製造を支援しており、年末までに1億回分のワクチンを準備し、すべての米国人に接種できる量を来春までに確保するという。
だがこれほど大量のワクチンを慎重な計画もなしに配布すれば、物流の問題によってワクチンの入手に格差が生じるおそれがある。米バイオ医薬企業のモデルナと米製薬大手のファイザーが開発しているワクチンは、どちらも約1カ月間隔で2回接種する必要があるうえ、室温では化学的に不安定だ。そのため、冷凍した状態で輸送・保管しなければならない。さらにファイザー社のワクチンは、一般的な冷凍庫よりも低温のマイナス70℃で保存しなければならない。
だからこそWHOと全米医学アカデミーはそれぞれの報告書で、ワクチンの公平な配布には、ワクチンの保管と輸送が重要な要素だとしている。長年にわたって病院の閉鎖が相次ぐ米国の農村部では、すでにほかのワクチンの不足が深刻な問題になっている。また、世界では単に冷蔵庫が足りないせいで、病気を撲滅する努力が数十年にわたって停滞している。
ワクチンの輸送を支援するため、米物流大手UPSは米ケンタッキー州とオランダに巨大冷凍施設を建設し、600台の超低温冷凍庫で4万8000本のワクチンを保管できるように準備している。米製薬大手ジョンソン・エンド・ジョンソンが開発中のワクチンは1回の投与ですみ、低温保管する必要もないが、開発競争で数カ月の後れを取っている。
保健当局は、大人用と子ども用の注射器などの医療器具をどのくらい備蓄するべきかを予測しようとしている。また、特に2回接種する必要があるワクチンのために、注射ができる人を追加で訓練する必要があるかどうかも検討している。米保健福祉省(HHS)は、米国だけで6億5000万~8億5000万本の注射器と注射針が必要になる可能性があり、その製造に2年かかる可能性があるとしている。
「私たちはワクチン開発の科学だけではなく、ワクチンを必要とする人々にどうやって届けるかを考える必要があるのです」と米ジョンズ・ホプキンス大学健康安全保障センターの疫学者ジェニファー・ヌッツォ氏は強調する。
出荷の規模や頻度もまだわからない。少しずつコンスタントに届けられ、季節性インフルエンザワクチンのように個々の診療所や薬局(米国ではインフルエンザのワクチン接種は薬局でも受けられる)で接種できるようになるのだろうか? それともまとめて到着し、スタジアムのような広い場所に人を集めて接種する必要があるのだろうか?
米国では10人中9人がまだ新型コロナウイルスの抗体をもっていないことを考えると、このウイルスの脅威が薄れることはない。米ミシガン大学の医学史家ハワード・マーケル氏は、新型コロナワクチンの配布という課題は、他に例のないものになる可能性があると言う。
「最悪のパンデミックの最中にワクチン接種プログラムを実施した例は多くありません」とマーケル氏は言う。「戦争の真っただ中で、全員が防弾チョッキを必要としているようなものです」
これまでの感染症では、大流行が収束した後にワクチンが大量生産されたケースが多かった。例外の1つはポリオワクチンだが、生産規模を迅速に拡大するために大がかりな努力が必要だった。1954年に当時のアイゼンハワー米政権は、6社の企業にポリオワクチンの大規模治験を認可した。また、高校の体育館、市民センター、ダンスホールに臨時の製造ラインを作ってワクチンを生産させた。
貧しい国にも配布するべき理由
世界の公衆衛生の専門家は、豊かな国々に対して、新型コロナワクチンを「世界の公共財」と考え、貧しい国々に資金とワクチンを分け与えるよう求めている。
なぜなら、ワクチン接種を受けていない旅行者がウイルスを拡散し続ける可能性があるだけでなく、私たちの国益が、外国の健康な人々がグローバルなサプライチェーン(供給網)を維持しているかどうかにかかっているからだと、ジョンズ・ホプキンス大学の生命倫理学者でWHOの新型コロナワクチン作業部会のメンバーでもあるルース・フェイデン氏は説明する。
「裕福な国々は、自国民のためのワクチンを優先的に確保しようとしがちです」と氏は言う。「しかし、自国さえよければという発想でこの事態を抑え込めると考えるのは視野が狭すぎます」
今はまだ、開発に成功したワクチンの登場を待っている段階だが、それでも保健当局が公平性を強調するのは、人々を安心させようという目的がある。
「これは、市民に向けた重要なメッセージなのです」とマレン氏は言う。「全員にとって公平なやり方でワクチンを接種するにはどうすればよいか考えている人々がいる、というメッセージです」
(文 SARAH ELIZABETH RICHARDS、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2020年10月17日付]
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