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U22
「研究室」に行ってみた。

2020/10/30

「研究室」に行ってみた。

ただ、ふと疑問に思う。ヒトのDNAには30億もの塩基対があると聞く。それら全てをひとつひとつ見ていったとしたら大変なことになると容易に想像できる。

精密医療の実現を目指すバイオバンク・ジャパンの運営に携わり、自らも研究を行う東京大学大学院教授の松田浩一さん

「たしかに、30億の塩基対すべてを比較しているわけではありません。見ているのは、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、スニップ)、一塩基多型と呼ばれるものです。これは、ヒトのゲノムの塩基配列の中で、300カ所に1カ所ぐらい、つまり、30億のうちの1000万カ所くらいにある、個々人によって情報が違っている部分です。1つの塩基が違うだけで、体内で作られる酵素などのタンパク質の活性が変わったり、そもそもその遺伝子が働かなくなったりします。肌や目や髪の色が違うのもSNPで説明できますし、実は血液型の違いもSNPの組み合わせで決まります。我々の食道がんの研究では、SNPのうち55万カ所を比較しました」

ぼくたちはヒトだから、だいたいの遺伝情報は同じだ(だから同じ種だ)。でも、ところどころ違うところがあって、それが個性の源でもある。そういった違いをもたらすものとして代表的なのが、一塩基多型、つまり、SNPだ。もうひとつ代表的なものに、遺伝子の数の違いが問題になる「コピー数多型」というものがあるが、一塩基の違いを見ればよいSNPの方が研究対象として扱いやすく、まず先に研究が進んだそうだ。そして、その端緒をひらいたのが松田さんのグループによる食道がんの研究だった。30億塩基をすべて調べるかわりに、「万」で語ることができる数のSNP。ずいぶん数は減ったが膨大であることには変わりない。こういう総当たり的なやり方というのは、やはり大量のデータを扱うことができる情報技術時代の申し子といえる。

「これは、仮説を置かない研究なんです。我々は55万カ所とりあえず全部調べてみて、その中であり得ないぐらいの低い確率のものが見つかったら、おそらく偶然ではなくて必然だろうと考えます。この場合、食道がんの人と健康な人のSNPの塩基の頻度を比較して、差が大きかった上位の1万2000のSNPについて、さらに別の集団でも確かめて、結局、食道がんの発症と非常に強く関連する遺伝子領域を同定できました。ALDH2とADH1Bと呼ばれる2領域です。これらは、アルコールの分解に関わる酵素の遺伝子だとすでに分かっていました。そして、それぞれのSNPの型の間で比べると、高リスクのタイプと低リスクのタイプでは4倍くらい食道がんの頻度に差があることが分かったんです」

川端裕人さん

ALDH2とADH1Bは、ともにアルコール感受性遺伝子と呼ばれるものだ。それぞれ、アルコール脱水素酵素と、アセトアルデヒド脱水素酵素という酵素の「設計図」に相当する。ぼくたちは体内に入ってきたアルコールをアセトアルデヒドにし、さらにそれを酢酸にすることで無毒化しており、その過程で働くのがこれらの酵素だ。「仮説を置かない研究」の結果、”飲酒と食道がん”という疫学研究ですでに示されているリスクと関連しそうな遺伝子が特定されてきたというのは非常に示唆に富む。

その内容を具体的にいえば、アセトアルデヒド脱水素酵素の活性が高くもなく低くもない中間型の人のリスクが高く、アルコール脱水素酵素については活性が低い人のリスクが高いのだそうだ。ともに活性が高いほうがリスクが低いのではないかと素人考えで思ったのだが、そうではなかった。

これについては、こんなふうに説明できるという。

「アセトアルデヒドが血中にあると、顔が火照ったり頭が痛くなったり、不快な症状が出ます。日本人では約半数の人たちはアセトアルデヒド脱水素酵素の活性が強くてこういった不快な症状が出にくいんですけど、約4割は中間型ですぐに顔が赤くなったりします。残りはそもそもアセトアルデヒドを分解できない、お酒を全く飲めない人たちです。この場合、中間型の人がアセトアルデヒドに晒されるリスクが高くなります。アセトアルデヒドは発がんをうながすことが分かっているので、それで食道がんになりやすいのではないかと考えられます。一方、アルコール脱水素酵素は、飲酒の嗜好性を決めている因子です。この酵素の活性が弱い人は、飲酒してからアセトアルデヒドが蓄積するまで時間がかかるので、不快な症状を感じる前にお酒を飲みすぎる傾向があります。実際、アルコールに依存性がある方は、その酵素活性が弱いタイプが非常に多いと分かっています」

つまり、「お酒にそれほど強くないのに飲めないわけでもない人(アセトアルデヒド脱水素酵素活性の中間型)」と、「お酒を飲みすぎる傾向がある遺伝子型を持つ人(アルコール脱水素酵素の活性が低い型)」では、発がん性のあるアセトアルデヒドにさらされる結果、がんになりやすくなっている、というふうに理解できる。松田さんの研究によると、これらのハイリスクの人たちでは、そうでない人たちに対して3~4倍も食道がんになる頻度が高かった。さらには、両方の遺伝子型をあわせもった人のリスクは、なんと16倍にものぼった。

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