日経ナショナル ジオグラフィック社

アショーカ王の登場

紀元前3世紀になると、この新しい宗教を急成長させることになる偉大な王が権力を握る。その名はアショーカ、古代インドのパータリプトラ(現在のパトナ)を首都とするマウリヤ朝の創始者チャンドラグプタ王の孫だ。マウリヤ朝は、マケドニアのアレクサンドロス大王が紀元前323年に死去した後の権力の空白を利用して、北インド全域に支配を広げていた。

紀元前265年ごろに即位したアショーカ王は、さらなる領土を求めて近隣諸国を征服し続けた。ところが即位から8年目に、彼の精神を大きく変える経験をした。

彼自身の告白によると、それは隣国カリンガを征服した後に起きたという。自分が起こした戦争によって人々が苦しむ姿を目にして激しく後悔し、暴力を放棄して仏教に帰依したのだ。そして、仏教の教えを国家政策とし、各地に建てた石柱や自然の岩に自身の新しい統治理念を刻ませた。

アショーカ王が信奉したことで、仏教は瞬く間にインド全土に広まった。紀元前50年ごろには、様々な宗派がシルクロードなどの交易路に沿って伝わり、6世紀までには遠く離れた日本にまで到達した。仏教が広まると、信者たちはブッダの生誕地であるルンビニに巡礼するようになった。

再び脚光を浴びたルンビニ

仏典によると、マーヤーは出産のために実家へ旅をしていた途中、ルンビニで陣痛が始まり、サラソウジュ(沙羅双樹)の枝につかまってシッダールタを産んだという。ブッダの死後、ルンビニは数世紀にわたって大切にされていたが、政治的な動乱のためか、次第に注目されなくなってしまった。

ガンダーラ語で書かれた1世紀の巻物の一部。現存する最古の仏典の一つである。大英図書館収蔵(BRITISH LIBRARY/ALBUM)

だが1890年代にルンビニで、「天愛喜見王」による紀元前3世紀の碑文が刻まれた円柱が発見された。ほとんどの歴史家は、天愛喜見王はアショーカ王のことだと解釈している。碑文には「即位20年となり、王は自らこの地を訪れ、祈りをささげた。なぜならブッダ・シャーキャムニ(釈迦牟尼)がここで生まれたからである」と記されていた。ブッダの生誕地はこうして再発見された。

ルンビニの発掘調査により、数世紀間に建てられた多くの建造物の存在が明らかになった。最も神聖な建造物の1つは、マーヤーが出産前に沐浴(もくよく)したとされる池だ。紀元前3世紀から後5世紀にかけて複数建てられた僧院の遺跡や、新しいものでは15世紀のストゥーパ(仏塔)も見つかった。

この遺跡の中心であるマーヤー・デービー寺院は、アショーカ王時代の建築物の上に建てられている。1996年には、この寺院の下から1個のブロックが見つかり、ブッダが誕生した場所を示すとされた。翌1997年、ユネスコはルンビニを世界遺産に登録した。

つい最近まで、仏教信仰が確立していたことを示す考古学的証拠は、紀元前3世紀のものが最古だった。しかし2011年に、それを変える可能性のある発見があった。

考古学者のロビン・カニンガム氏とコシュ・プラサド・アチャリヤ氏が率いる国際研究チームが、ルンビニのアショーカ王時代のレンガの舗装を撤去したところ、その下から木造建築物の跡を発見したのだ。サンプルを分析すると、紀元前550年ごろのものであることがわかった。

石化した木の根が見つかったことから、この木造建築物がボーディガラ、つまり菩提樹を祭る寺院だった可能性が高いことが示唆される。樹木を祭った痕跡は仏教以前の遺跡とも関連づけられているが、カニンガム氏とアチャリヤ氏は、この遺物には仏教的な特徴が見られると主張している。

ブッダは生前、ルンビニを巡礼地として定めたと伝えられている。ボーディガラが紀元前6世紀ごろのものだったとする今回の発見は、ブッダがその頃に生きていた可能性があることを示唆しており、ブッダの生涯を解き明かそうとする歴史家たちに新たな証拠を提供している。

次ページでは、釈迦とその後の仏教にゆかりの地を写真で紹介しよう。

ナショジオメルマガ