「例えば原始時代に、火の周りを囲んだ人たちが、『きょう、あそこでこんなやつと会ってきた』とかやってたのが、演劇表現の始まりだったんじゃないですかね。剽窃という意味で言うと、作家の故井上ひさしさんと戯曲とか演出について『最近の若いやつは盗み方が下手だよな、もろバレみたいな。盗むならもうちょっとうまく盗まないとダメだよね』という話をしたことがあります。もちろん、本当に盗むのはダメですよ」

「夢の遊眠社という劇団を手がけていた1980年代半ばに、国際的に有名な英国のエディンバラ国際芸術祭の委員長が日本に来ました。その際、『面白い若い劇団はないのか』とウチの芝居を見にきてくれて、芸術祭に誘われたんです。『行けるものなら行きますけど』と、当時の僕にはシンデレラの夢みたいな話ですよね。翌年、下見で芸術祭を見にいったら、その委員長が手がけるオペラで僕の演出をそのまま使っていました。単純に『あーっ』て思いましたね。芸術祭には87年に参加しました」

長崎県で生まれて、東京都で育つ。小学生のときは学芸会の芝居で裏方をつとめた(小学生時代)

「でも、同じ演劇界の人より、スポーツやビジネスのリーダーを見ていると、『こういうふうに考えるんだな』と参考になりますね。『こういう言葉を使っている。いいなあ』とか。逆もあって、サッカー日本代表の監督だった岡田武史さんが、私の稽古場を見にきてくれたことがありました。『何かヒントありましたか』って聞いたら、『結構いろいろ面白かった』と。それが何かは今でもわからないですけど」

――92年に劇団を解散して、ロンドンに留学しました。

「劇団の座長はリーダーと言えるんでしょうが、組織が組織を維持するためだけの組織になっていくと感じたため、解散を決意しました。劇団で先輩格の人が必ずいい役に付くとか、そういう組織にしたくないと思っていましたが、10年、15年と続くと、だんだんそうなってしまった。若い役者を抜てきしようとすると不満が出ることも増えて、『終わっちゃった方がいいのかな』と思いました」

人気絶頂、観客に対しても不安が

「それと、人気絶頂とか言われて、お客さんに対しても、『本当に面白いと思って来ているのか、ただ有名だから来ているのか』という不安がずっとありました。家庭を持っている役者もいましたから、劇団の役者のための事務所(現在のシス・カンパニー)に全部、役者の今後の生活をお願いして留学をしたんです」

「ロンドンでは、とにかく自由で幸せでした。それまでの5、6年、ずっと他人のことを考えていたんだな、いつの間にか組織が自分の上に乗っかってきていたんだ、と分かりました。ロンドンでは役者としてワークショップに入りました。日常的に稽古して、その果実として上演できるという、劇団を始めたころの組織の姿のよさが、そこで分かったんです。帰国してから、お金を稼ぐためではなく、ものをつくるためのワークショップを始めました。僕の方から交通費程度を払うスタイルです。役者って日銭をもらっていない人が多いから、すごくうれしがっていました。僕自身も大きい劇団という組織を抱えた立場から、ちょっと離れたことに取り組めました」

次のページ
知らないことは、口を出しすぎない
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら