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東京・京島3丁目の街並み(画・安住孝史氏)

東京・京島3丁目の街並み(画・安住孝史氏)

夜のタクシー運転手はさまざまな大人たちに出会います。鉛筆画家の安住孝史(やすずみ・たかし)さん(82)も、そんな運転手のひとりでした。バックミラー越しのちょっとした仕草(しぐさ)や言葉をめぐる体験を、独自の画法で描いた風景とともに書き起こしてもらいます。(前回の記事は「忘れられないキスシーン タクシー運転手がみた夫婦愛」

僕はタクシー運転手を3つの会社で経験しましたが、1番目、2番目の会社は東京・浅草にありました。ですから運転するエリアは神田、日本橋、上野、浅草、向島といった下町が中心でした。

下町は昭和の戦争の大空襲で、浅草から隅田川の対岸の本所、向島まで一面焼け野原になりました。そのため戦後は多くの道路が幅広く、直線的になりました。そのような街の中で、墨田区の京成曳舟駅に近い京島3丁目周辺で横町に折れると、迷宮に入り込んだような気分になります。急に曲がりくねった細い道が増え、木造家屋が密集しているのです。

灰燼(かいじん)に帰した下町で、今も長屋が連なるこの街は、関東大震災にも戦火にも焼けずに残ったまれな街です。いったい何が焼け野原との違いを生んだのでしょう。街並みを見ながらそんなことを考えると、世の中には不思議なことが満ちているような気がして、謙虚にならざるを得ません。

なぜか気が変わって左折すると

タクシーを運転していても、そういう不思議としか言いようのない経験を味わうことがあります。さらにそれが水揚げ(売り上げのこと)アップにつながる幸運である場合もあります。

たとえば、錦糸町駅付近で総武線と交差する四ツ目通りを、現在は東京スカイツリーがある押上方面に走っていたときのこと。なぜかふと気が変わって、押上の交差点の手前で左の小道に折れたことがあります。しばらく行くと前方で四角い段ボール箱を抱えた男女がうれしそうに僕のタクシーに向かって合図をしています。車を寄せると、ふたりは互いの間に荷物をはさむように後部座席に乗り込みました。行く先はなんと横浜市内の生麦です。当時の料金で6千円くらいの長距離です。

段ボール箱の中身はテレビでした。2回目のタクシー運転手時代で、昭和40年代の終わりごろですから、テレビはまだ大きなブラウン管で、奥行きもあり、かさばっていました。話を聞きますと、友人からテレビをもらい受けたとのことです。男性は「友達が新しいのを買ったから、それまで使っていたのをくれたんだ」と語り「こっちも結婚して妻の実家の近くに引っ越したところで、ちょうどよかった。それに、このテレビだってまだ新しいんだよ」とうれしそうでした。テレビはまだまだ高価なものでしたから、タクシーで運んでも得だったのです。

それにしても自分はなぜ、急に道を曲がる気になったのだろうと思いましたから「不思議ですねぇ、お客様。本当は押上交差点から先へ行くつもりが、なぜか曲がっちゃったんです。お客様に吸い寄せられたんですね」と、半分以上は本気で伝えました。お客様も「あの道にタクシーの空車はまず来ないと思ったから、荷物を持って四ツ目通りまで行こうとしたところだった」と話し、僕のタクシーをひろったことで「幸先がいい」とまで喜んでくれました。なんだか好感のもてる新婚夫婦で、僕も幸運でした。

これも同じ時期のことですが、昼間に神田駅から30キロメートルくらい北に走って埼玉県川口市のまちはずれまでお客様をお乗せしたことがあります。30代くらいの男性でしたが、仕事で東京に出たものの電車が止まってしまったとのことです。昼間の長距離でラッキーではあったのですが、慣れない道だったため、お客様を降ろした後、僕が道に迷ってしまったのです。今のようにナビゲーションはありません。

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