追悼・高田賢三さん 秘められた愛と赤裸々な告白編集委員 小林明

ブティック名が訴訟沙汰に、パリコレを救った「プレタの旗手」

民族衣装やゆったりした着心地の服、ディスコや映画館を会場にして流行音楽を流す斬新なショー形式などがパリで人気を博し、売れっ子デザイナーに躍進した(2018年4月6日、撮影=小林明編集委員)

賢三さんが70年にパリに初めて自分のブティックを開いてデビューしたのも、文化服装学院の「花の9期生」らライバルたちへの強い競争意識があったから。同期の多くが自らのブティックを東京に開店し、独自の世界観を表現していた。賢三さんにも焦りがあったようだ。

最初のブティックを開いた場所はルーヴル美術館にほど近いギャルリー・ヴィヴィエンヌ。店名は「ジャングル・ジャップ」とした。「日本人であることを逆手に取ったちゃめっ気のつもりだった」というが、これが米国の日系人団体から「ジャップは日本人への蔑称だ」と抗議を受け、訴訟沙汰にまで発展する。

だが、そんなゴタゴタが起きても、四角い平面と直線裁ちを組み合わせた民族衣装や着心地の良いゆったりした作風、ディスコや映画館を会場にして流行音楽を流すという斬新なショー形式が爆発的な人気を博し、賢三さんはパリコレを代表するトップデザイナーとして飛躍を遂げる。

当時、パリにもベトナム反戦やヒッピー文化など変革の嵐が吹き荒れ、既成概念が根底から揺らぎつつあった。モードの重心も富裕層向けの格式張ったオートクチュール(注文服)から大衆向けの若者も楽しめるプレタポルテ(既製服)へと大きくシフトし、パリは新たな才能の登場を求めていたのだ。そんなパリに「プレタポルテの騎手」として見いだされ、育てられたのが賢三さんだった。その期待通り「パリコレの救世主」となる。

イブ・サンローラン、カール・ラガーフェルドと絡み合う糸

パリコレに欠かせない3人のデザイナーがいる。賢三さんとイブ・サンローラン、カール・ラガーフェルドだ。

イブは弱冠21歳で「クリスチャン・ディオール」の主任デザイナーに抜てきされ、その後、自らのブランドを立ち上げ、長年「パリコレの帝王」として君臨する。

カールは「フェンディ」「シャネル」の主任デザイナーとして活躍し、同時に自らのブランドのデザインも手がけるエネルギッシュなクリエーター。実はこの3人は夜の社交界でも恋人やパートナーを巡って火花を散らし、絡み合う複雑な関係だった。

イブにはピエール・ベルジェ、カールにはジャック・ドゥ・バシェール、賢三さんにはグザビエ・ドゥ・カステラという同性の恋人がいた。ジャックとグザビエは大親友。賢三さんはジャックを通じてグザビエと知り合う。そしてイブは……。なんとカールからジャックを横取りしようとして恋敵となり、険悪な関係に陥ってしまう。

さらに複雑なのは、イブ・サンローランの女性イメージモデルだったルル・ド・ラ・ファレーズが賢三さんと恋に落ち、一時期、恋人関係にあったこと。これにはイブの恋人兼ビジネスパートナーのベルジェが露骨に不快感を示し、ドロドロの愛憎劇が繰り広げられる……。こうした複雑な人間模様はモード界の醜聞としてメディアに派手に取り上げられ、映画の題材にもなる。

最愛の恋人グザビエ、LVMH総帥との確執……

「生涯で最愛のパートナーだった」というグザビエを回想する場面はあまりにも美しい。

ルイ14世から伯爵の称号をもらった貴族の末裔で建築に詳しいグザビエは賢三さんに桂離宮や龍安寺の石庭に込められた禅の思想を解説し、ベルサイユ宮殿の大運河と鏡の間に仕掛けられた秘密をドラマチックに見せてくれる。それが建築への興味を駆り立て、2人の関係を強く結び付け、日本庭園まで備えた数寄屋造りの大邸宅の建設へと向かわせる。

膨大な財政負担は「ケンゾー」ブランドの経営基盤も揺るがしてゆく……。

晩年の最大の悲劇は、なんといっても「ケンゾー」の全株式を買い上げたLVMHモエヘネシー・ルイヴィトンのアルノー会長との激しい対立と決別だろう。背景には決して他言してはならないと口止めされた「紳士協定」の存在があった……。

あまりにも純粋で無防備だった賢三さん。だが最後まで誰にも束縛されず、自分の心に正直に生き切った。その人生のスケールの大きさと痛快な生きざまを改めてかみしめ、哀悼の意をささげたい。

(編集委員 小林明)

夢の回想録 高田賢三自伝

著者 : 高田 賢三
出版 : 日本経済新聞出版
価格 : 2,090 円(税込み)

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