追悼・高田賢三さん 秘められた愛と赤裸々な告白編集委員 小林明

最愛の恋人グザビエ・ドゥ・カステラ(右)と高田賢三さん。グザビエはルイ14世から伯爵の称号をもらった貴族の末裔で建築などに詳しい教養人だった。
最愛の恋人グザビエ・ドゥ・カステラ(右)と高田賢三さん。グザビエはルイ14世から伯爵の称号をもらった貴族の末裔で建築などに詳しい教養人だった。

世界的ファッションデザイナーとして活躍してきた高田賢三さん(81)が2020年10月4日、新型コロナウイルス感染のため、パリ郊外の病院で死去した。1970年にパリでデビューして以来、パリコレを代表する人気デザイナーとして活躍してきた賢三さんは、パリに根付き、パリに最も愛された日本人デザイナーだった。そんな賢三さんが人生の全足跡を回想し、赤裸々に語ったのが最初で最後の唯一の自伝「高田賢三自伝 夢の回想録」(2017年、日本経済新聞出版)である。

秘められた恋人・自己破産・飲酒運転…

唯一の自伝「高田賢三自伝 夢の回想録」(2017年、日本経済新聞出版)。16年12月に日経朝刊に連載した「私の履歴書」に大幅加筆し、対談やルポなども加えた

高貴な貴族の末裔(まつえい)で公私をともにした男性パートナーのグザビエ・ドゥ・カステラ、さらにイブ・サンローランのミューズ(女神)だった女性モデルのルル・ド・ラ・ファレーズとの秘められた恋愛関係、「ケンゾー」の経営方針を巡って対立したLVMHモエヘネシー・ルイヴィトンのベルナール・アルノー会長との壮絶な確執、さらに自己破産、飲酒運転による逮捕などスキャンダラスな数々の逸話に彩られている。

共同執筆者として長期間、本人に密着してインタビューを続け、パリや故郷の兵庫県姫路市をはじめ、京都、箱根、長野県須坂市などへも同行取材してきた思い出を踏まえ、賢三さんの人生のハイライトやとっておきの秘話を抜粋して紹介する。

生前、賢三さんと一緒に兵庫県姫路市にあった実家(現在は取り壊されて大きなマンションが建っている)の周辺を散策したことがある。実家は姫路城の北方にある花街で「浪花楼」という待合を営んでいた。多くの芸者があでやかに奏でる三味線や長唄の歌声を聞きながら育ったという。「中学に上がるくらいから待合の意味が徐々に分かってくるでしょう……。すごく嫌でしたよ」と振り返る。

繊細で女性的な感性を育んだ姫路時代

幼年期は姉たちの影響で少女雑誌「ひまわり」や宝塚歌劇などの世界にのめり込んでいったという(2016年9月3日、撮影=小林明編集委員)

賢三さんは5男2女の兄弟姉妹の三男。長男や次男とはかなり年齢が離れていたため、4つ上の長女や2つ上の次女と一緒に遊ぶことが多かった。そのため、野球や缶蹴りなど男児が好む屋外の遊びではなく、おはじきや人形ごっこなど屋内の遊びの方が好きだった。和だんすにしまわれた鮮やかな反物や毛糸玉でもよく遊んだそうだ。そんな姉たちの影響もあり、自然の成り行きで、少女雑誌「ひまわり」や宝塚歌劇、恋愛映画などの世界にのめり込んでゆく。

デザイナーとしての繊細な美意識や女性的な感性はこんな環境で育まれたようだ。

地元の名門、姫路西高校から神戸市外大に進むまでは真面目で目立たないガリ勉タイプだった。だが運命を大きく変えるのは通学途上の列車内で見かけた1枚の広告。女子学生しか入学できなかった文化服装学院が初めて男子生徒にも門戸を開くことになったという。「はなから無理だと思い、文化服装学院への進学は人生の選択肢に入れていなかった」らしい。

もともと色彩の組み合わせや衣装には興味があったし、絵を描くのも得意だったことから、父親らの猛反対を押し切って「大学を中退して文化服装学院に進もう」と決意する。いったん目標が定まれば「自分でも驚くほどの行動力を発揮する」のが賢三さん。豆腐配達のアルバイトなどを黙々とこなしながら学費や生活費を稼ぎ、大学を中退して単身で上京。質素なアパート暮らしを始める。

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