著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はタレントのスザンヌさんだ。
――子どものころのお母様との思い出は?
「両親は私たち姉妹が幼いころに離婚し、母が女手一つで育ててくれました。母は平日は忙しく働いていましたが、土日のどちらかは必ず外で一緒に遊んでくれました。公園や海ではしゃいだり、雨の日はゲームセンターで遊んだり、宮崎県の遊園地に行ったり……寂しいと思ったことは一度もありませんでした」
――10代で上京し、芸能活動を本格化。お母様の反対はありませんでしたか?
「私は中学卒業と同時に親元を離れ、福岡の高校に進学しました。17歳のころ、高校を中退して芸能活動一本に絞ろうと決意しました。でも、母に相談すると寂しくなり信念が揺らいでしまうと思いました。東京で住まいを決め、保証人になってもらうときに母に相談しました。最初は驚いていたものの、『もう決まっているんでしょ?』と背中を押してくれました。母方の祖母は『一度決めたら曲げない、一途なところがそっくりだ』と言っていました」
「芸能活動が忙しくなる前、ホームシックになって母に電話をかけることがありました。熊本弁でたわいもない雑談です。電話越しに『いつでも帰っておいで』と言葉をかけてもらうたびに『まだ帰れないな』と気持ちを奮い立たせました。私の負けず嫌いな性格を理解して、話しかけてくれたのかもしれません」
――お母さまは全国から客が集まる「キャサリンズバー」を経営されています。
「生き生きと働く母の背中から学ぶことは多いです。お店は多くの人の憩いの場であると同時に、母にとっても大切な居場所なのでしょうね。母の影響もあって外で仕事を続けたいと思います」
――5年ほど前に地元の熊本に戻り、震災も経験されました。
「離婚したとき、都会に戻って子育てをする姿が想像しづらく、家族のいる熊本に移ることを決めました。当初は心の余裕がありませんでしたが子どもが成長するにつれて、熊本の良さを発信できる仕事をしたいと思いました。子どもが小学生になった今は地元のテレビやSNSなどで情報発信に努めています」
「2016年の震災では自宅の家具が壊れるなどしましたが、周囲にはもっと深刻な被害に遭われた人が大勢いました。できることからやろうと、母はお店で、私は友人と協力して小学校や避難所で炊き出しに参加しました」
――家族で暮らす今の思いは。
「離れて暮らす時間が長かった分、母との時間を取り戻すように過ごしています。母も子ども(孫)を全力でかわいがり、私と遊べなかった時間を楽しんでいるのかもしれません。祖母も健在で、家族4世代の貴重な時間を大切にしたいですね」
[日本経済新聞夕刊2020年10月13日付]