全日本選手権3連覇を含む5度の日本一に輝き、2008年北京五輪で卓球女子団体4位、12年ロンドン五輪卓球女子団体銀メダルを獲得。現在はスポーツキャスターとして活躍する平野早矢香さん。第1回は、鬼のような形相で戦うイメージから「鬼の平野」と異名を持っていた彼女に、メンタルのコントロール術について伺った。
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――現役時代、「鬼の平野」「卓球無双」などと呼ばれ、闘志をむき出しにして粘り強いプレーをされていた印象が強かったですが、もともとメンタルは強かったのでしょうか?
私自身、自分のことをメンタルが強い選手だったとは一度も思ったことはありません。特に、幼い頃は、それが試合の結果に顕著に表れていました。石川佳純選手や伊藤美誠選手といったトップ選手は、小学校の時から大舞台でも動じずに、同世代の中で日本一の座をつかんでいましたし、彼女たちと比べると、高校まで全国で優勝できなかった私は、大事なところで勝ちきれない選手だと、周りからも評価されていました。そこからメンタルを強くしたというよりも、経験を積んで弱いメンタルを少しずつ克服し、コントロールしていったタイプだったと思います。
――大事なところで勝ちきれなかった原因は?
今は引退して、人と競わなくてもいい生活がすごく心地よく楽しく感じているので、自分の性格的な要素も原因の一つかもしれません。ただ基本的に負けず嫌いで、絶対一番になりたいという気持ちでプレーしていましたが、「自分が一番になれる!」という自信が持てませんでした。大切な場面でこそ、そんな弱い気持ちが出てしまうところが、トップになれなかった原因だと思います。
――高校1年のときに初のタイトルを獲得されます。ブレークスルーは?
タイトルを取る大会の前に、中国合宿をしていたタイミングで参加したテレビマッチで当時の中国のジュニアの代表選手に勝ち、技術的にも上達している感覚を得ていました。それはすごく自信になって、今度こそ高校生の中で日本一を狙えるのではないかと感じていました。
それが帰国後、練習の中でミスが続き調子も上がらず、原因も分からなかったので、1人でずっとイライラしていました。
見かねたコーチは、「君は自分が思っているほどのレベルの選手じゃない」と私を叱りました。それでハッとしました。ああ、勘違いしていたなと。決して、図に乗っているわけでも、おごる気持ちもなかったですが、何が何でも優勝を目指す、今度こそ優勝できるという思いが強すぎたため、気持ちが空回りしてしまった。これをきっかけに、一戦一戦ベストを尽くそうといったマインドに変わり、目の前の試合に意識を向けられました。
優勝して初タイトルを獲得したものの、順風満帆にタイトルを取り続けたわけではありません。インターハイではダブルスと団体戦では優勝しましたが、個人では優勝できないなど、自分が目指していた絶対的王者にはなれませんでした。
――高校卒業後、18歳でミキハウスに入社され、2004年には全日本卓球選手権のシングルで初優勝されます。
入社したときは、全日本ベスト8が最高成績でしたが、その年の年末までに、世界ランキング50位までに入り、全日本卓球選手権優勝という目標を掲げて、必死に強化していました。1年弱全力を尽くした結果、世界ランキングも年末には目標の50位以内に入って順調に進んでいましたが、肝心の全日本選手権直前に大きく調子を落とし、精神的に不安定になっていました。
1年間頑張ってきたのになぜ……ともやもやしていたときに、書店でたまたま手に取った1冊が、『「原因」と「結果」の法則』(ジェームズ・アレン著)でした。そこには、「結果は全て内面の原因によってつくられ、結果を変えたいのであれば、原因を改善しなくてはならない」とか、「目標を達成するには、そこに自分の思いを集中させなくてはならない」といったことが書かれていました。
そのときも意気込みすぎて優勝ばかり追い求めていた私でしたが、本の言葉のおかげで、「原因(=準備)を見直してしっかりやっていこう」と、気持ちを切り替えて落ち着くことができました。試合当日も決して良いコンディションではなかったものの、「やるべきことはやった」と自分に言い聞かせ、試合に集中して臨むことができた。それが、全日本卓球選手権女子シングルで優勝という結果につながったのだと思います。