失敗続きの衝撃実験 G-SHOCK開発、窮地で退職も覚悟
カシオ計算機 伊部菊雄(3)
新技術・新商品提案書に書いた、たった一行の新企画、『落としても壊れない丈夫な時計』を開発するため、カシオ計算機の伊部菊雄は衝撃実験を行うことにした。しかし、締め切り間際になっても課題が解決できず、追い込まれた伊部は会社を辞めることも覚悟した。G-SHOCK開発の過酷な真実、第3話。
トイレで隠れて続けた実験
時計を落としたときに最も壊れやすいのは、電子部品で構成されているモジュール――心臓部分である。そこで心臓部分を保護材で包んで、高所から落とすことにした。
伊部はこう振り返る。
「1階のトイレの窓から下をのぞいたんです。そうしたら、うわっ、つまらないって思った。大した高さじゃない。それで2階に上ってみたんです。すると結構、この高さはいいなと思った。自分の部署(時計設計部)は3階にあるから、さらに3階のトイレにも行ってみたんです。実は私、ちょっと高所恐怖症の気があるんですが、下をのぞいたら足がぶるって震えた。この高さ、最高って思っちゃったんですね」
落下させたときの衝撃を計算して、3階を選んだのではないのですか、と問うと、伊部は大きく首を横に振った。
「全く違います。普通に考えれば、腕の高さから落としたときに壊れなければいい。だから1階の高さで十分なんです。たまたま設計部が3階で、その近くにトイレがあった。ここから落とせば楽だなと思ったからです。非常に単純な気持ちでした」
なぜ、トイレだったのか。設計部の窓から落としてもよかったのではないか。
「それは提案する前に基礎実験をしていなかったからですよ」
伊部ははじけるように笑った。
「何をしているのか他の人に知られたくなかった。だって、何をしているのか聞かれたら説明しなきゃいけないじゃないですか。トイレの窓のところで外を見るような振りをして待っているわけです。人がいなくなったときに、よし今だ、と窓から落とす」
当初、表面に多少のゴムを付けておけば、衝撃を吸収してくれるだろうと考えていた。ところがコンクリートの地面にたたき付けられて、粉々になってしまった。
「それで何回も試すんです。いつもトイレにいるから、みんなは私のことをおなかが弱い人だって思っていたのかもしれませんね」
どつぼにはまった一人きりの開発
結局、3階から落として壊れないようにゴムを巻いていくと野球のボールよりも少し大きいぐらいになった。「これです」と、伊部は黒い玉を手に取った。
「もし、事前に基礎実験をしていれば、こんなふうになることが分かる。そうしたら(企画として)出していないです。これを普通の時計サイズにするなんてことはあり得ない」
そして玉を軽く振りながらこう付け加えた。
「これは当時を思い出して作ったものです。(実験が終わると)全部跡形もなく片付けました。基礎実験をしていることを誰にも知られたくなかった」
隠れるように実験していたのはもう一つ理由がある。このとき設計部が腐心していたのは、時計の薄型化だった。頑丈な時計は、分厚くなる。会社の流れに逆行した製品を作っていることに引け目を感じていたのだ。
ともかく、自分が出した企画なのだ、引き下がることはできない。伊部は必死で頭を絞り、ケースカバー、メタルケース、ゴムガードリング、メタルガードリング、保護ゴムという5つの構造で衝撃を受け止めることを思いついた。
この多層構造は今につながるG-SHOCKの原形となっている。
しかし――
「この構造によって劇的に小さくなりました。しかし、大きな問題を抱えていた。LCD(液晶ディスプレー)、チョークコイル、水晶など、電子部品が壊れる。壊れたところを強くすると別の物が壊れる。まるでモグラたたきのようでした」
試作品が出来上がるたびに、トイレの窓から落とした。何百回落としたのか記憶にない。何度も窓から下をのぞくうちに、高所恐怖症が治ってしまったという。そのうち、新製品の名前が決まった。
「デザイナーが名前を考えてくれって言うんですけれど、私はそれどころじゃなかった。できるかどうかも分からない。結局、デザイナーが3階のトイレから私が(試作品を)落としているのを見て、(万有引力を発見した)ニュートンのリンゴを連想し、グラビティー(重力gravity)からG-SHOCKと名付けたんです」
製品の発売日は1983年4月と決まった。しかし、「モグラたたき」の解決策は見つかっていなかった。開発を始めてから約1年がたっていた。量産態勢に入ることを考えれば、もう時間は残っていなかった。
窮地に差した光明
「もうにっちもさっちもいかなくなった。どうやってもうまくいかない。頭を抱えて歩いていました。『できません』と上司に報告して、会社を辞める気でした」
このとき伊部はまだ28歳である。エンジニアとしては若手の部類に入る。この時点では一製品を開発できないくらいで退職まで考えるのは過剰ではないか。
伊部は首を振り、「原因は全部これです」と『落としても壊れない丈夫な時計』と書かれた新技術・新商品提案書をコツコツと指でたたいた。
「基礎実験をやっていないと一度も言っていないんです。上司には『私は頑張っています。問題はありますけれど頑張っています』と説明していました。そして、役員がこの一行(の提案書)を信じてゴーサインを出した。それに対する責任感がありました。名前も発売日も決まっている、どういうことだって話になりますよね」
こんな意地悪な質問をしてみた――。
そもそも落としても壊れないという条件ならば、1階のトイレからでもよかった。ハードルを下げて、3階ではなく1階から落とすことにすれば、この時点でも商品化は可能ではなかったのか、と。
すると伊部は「そうですよね。なんでそう思わなかったのか」と腕組みをした。
「どうも自分は一度決めたことを変えるのが嫌みたいですね。大学受験のときと同じです。1日10時間、1日も休まずに勉強したのは、そうしようと最初に決めたからでしたから」
「そのとき、できないなら仕方がないじゃないか、自分が納得するまで考えて諦めようと思ったんです。ただ簡単にできないとは言いたくない。残り1週間の24時間全て考えてみようと。すでに起きている時間はずっと考え続けていた。残っているのは寝ている時間だけ。寝ている時間も使うことにしたんです。昔、幼稚園の先生に、『見たい夢があったら画用紙に絵を描いて枕の下に入れて眠りなさい。そうすれば夢に出て来る』と言われたことを思い出し、そこで夢で考えようと思ったんです」
「もう、精神的におかしいですよね、今は笑って話せるんですけれど」と、伊部はほほ笑んだ。
「月曜日の夜に実験サンプルを自宅に持ち帰りました。そして翌週の月曜日に会社にできませんでしたとおわびして、火曜日に退職願を出すつもりでした」
伊部の著書『G-SHOCKをつくった男のシンプルなルール』(東洋経済新報社)には、土曜日の夜についてこう書かれている。
そして日曜日の朝、伊部は休日出勤した。しかし、何も考えが頭に浮かばなかった。追い込みすぎて、自分が疲弊しているのが分かった。
昼休みとなり、伊部は技術センターを出て、近所に食事をしに行った。何を食べたのか、どんな味だったのか、全く記憶はない。食後、技術センターの隣にある公園のベンチに座りぼんやりとしていた。
そのとき、だった。
「何かを思いつくとき、蛍光灯が光る(ようだ)と言いますよね。私の場合は裸電球でした。本当に頭の中で裸電球が光ったんです」
解決策を思いついたのだ。
(敬称略・つづく)
(ノンフィクション作家 田崎健太、写真 酒井康治)
[日経クロストレンド 2020年9月3日の記事を再構成]
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