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古代「史記」 偉人の出世学

2020/10/11

古代「史記」 偉人の出世学

余談ですが、銀行員だった私が税務の重さ、大切さを肝に銘じるきっかけをくれたのが趙奢でした。税制に通じ、真に公平な税負担のあり方を考えることは、現代でも最大の課題ではないかと、そう教えられたと思っています。中小企業に出向して経理全般を任されたときは、六法全書を引っ張り出して法人税法を隅から隅までノートに書き写しました。これは史記を学んだ方法と同じですが、その後の私のひとつのベースになっていることは確かです。

やがて趙は恵文王から孝成王の代に移ります。すでに趙奢はこの世になく、藺相如も病の床にありましたが、廉頗は秦を相手に奮闘していました。そこへ秦のスパイが嫌な噂を流します。「秦は趙奢の子、趙括が将軍となるのを恐れている」。新王はこれを信じ、廉頗に代えて趙括を将軍に任命します。病身の藺相如が、噂だけで趙括を用いることに反対しても聞き入れませんでした。
 趙括は兵法を好み、議論するのが得意でした。趙奢は生前、子の主張を否定することはなかったのですが、認めてもいませんでした。いぶかしく思った妻が夫に尋ねたときの答えが次の名言です。
  兵は死地なり。而(しか)るに括は易(たやす)く之(これ)を言ふ。
 戦場は修羅場だ。机上のことではないのに、趙括は気安く戦いのことを口にする――。そして「王が括を将軍としなければよいが、どうしても将軍にするということになれば、括のせいで趙は敗北するであろう」と予言しました。
 趙括の母は王に「括を将軍にしないでほしい」と上書し、理由を問われると「亡夫の趙奢は自ら食事を用意して多くの部下に与え、将兵を友のように扱いました。褒美を受けたときはみな部下に与え、出征の命令を受ければ、家のことなど構いませんでした」と前置きし、「息子の括は、王から下賜された品は自宅にしまい込み、得になりそうな安価な田地を買いあさっています。父子の心は異なるのです」と答えました。そして「息子を派遣してよくない結果に終わっても私が連座することのないようにお願いします」とまでつけ加えます。
イラスト・青柳ちか
 趙括は前任の廉頗のやり方を、人事を含めことごとく覆します。廉頗は持久戦で秦軍を疲れさせる作戦でしたが、趙括はそれを無視し、敗走するとみせかける秦の陽動作戦にはまります。味方は糧道を絶たれ、飢えに苦しんだ揚げ句、趙括は精鋭部隊を率いて戦死し、投降兵はことごとく生き埋めにされました。有名な長平の戦いです。趙はおよそ45万の兵を失ったと史記には書かれています。オーバーな数字に感じられますが、戦場の跡地からは多くの人骨が発掘されたと報じられています。

立派な父の息子でありながら、趙括は破滅の道を歩みました。父が子を見る目は正しかったのです。趙括を自信過剰にさせたのは、いったい何だったのでしょうか。恵文王の子だった孝成王も、君主とはいえ自信過剰にみえます。趙括の母親が自ら訴え出た意見を聞かず、噂を信じたのは、取り返しのつかない愚行でした。上役としては、失格です。

「うぬぼれ」を抑えるのが難しい

この例をみても、高い自己評価である「うぬぼれ」が良い結果を生むことはまずありません。しかしこのうぬぼれを抑えることはなかなか大変なことです。自分のことはもちろんですが、子や部下のうぬぼれはだれの手にも余るものかもしれません。うぬぼれぬよう、厳しく責め、否定ばかりしていると、それをまねるように他人を責め、否定するようになってしまうことはよくあることです。

史記を読むと、人事評価というのは、だれによるものなのか、そして、それを受け取る側はだれなのか、これが大切だと思わされます。趙括の例のように、母親が子を本気で悪く言うのはよほどのことでしょう。真実と異なる高い評価を流布したのが実は敵であり、味方のトップがそれを信じたのは笑うに笑えません。評価の中身は二の次です。

では、だれかについて信じるに足る人物からの意見を聞けないときはどうしたらいいのでしょう。趙括の母が夫と息子を比較した話を参考にするなら、最後はその人の行動が美しいか醜いかをみるほかないのかもしれません。そしてそう思いながら、美しく生きるのは難しく、美しく老いるのはもっと困難だとも感じているところです。

吉岡和夫
1939年(昭和14年)千葉県生まれ。横浜国大経済卒。東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)に30年間勤務。書家の古谷蒼韻氏に師事。雅号は「泰山」。中国「司馬遷史記博物館」(2016年開館)の顧問も務める。著書に『史記を書く』(1996年)、『毒舌と名言の人間学』(2005年)など。名古屋市在住。

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