日経ナショナル ジオグラフィック社

2020/10/25

バーニョレージョでは宿泊施設が居住者よりも多く、失業率1%未満という実績を上げた。17年から、チビタはイタリアの町では初めて、訪れる観光客1人につき5ユーロを徴収している。

観光収入のおかげで、単なる地滑り対策費としてだけでなく、チビタを守る方法の解明にもお金を向けられる。「チビタはとても小さな町です。この範囲に500人、600人がいたらどうなるか、考えねばなりません」。チビタ・ディ・バーニョレージョの地質・地滑り博物館に勤めるコスタンティーニ氏はこう話す。博物館は、チビタにある数少ない組織の1つだ。この地の歴史を地質学的、文化的な面から観光客や現地の人々に普及させる一方、将来にわたる維持のため活動している。チビタでの地滑りは15世紀から記録が残っており、地質学者にとっては豊富な情報が得られる場所だ。

持続可能な観光がどうあればいいのか、地質学者が土地と向き合って模索する一方、チビタの町長は住民と向き合いながら、同じことを考えている。

観光客が増え、チビタは町全体が博物館になったようだ。この記事の写真を撮影したカミラ・フェラーリ氏は、観光客として初めてチビタを訪れたとき、住民の男性が木を刈り込む様子を、旅行者が撮影するのを目にして驚いたという。

チビタに注目する周りの反応を、前向きに受け止める住民もいる。フェリーチェ・ロッキさんは、谷で農業をしながらチビタで育った。しかし、何世代も前から受け継がれてきた仕事道具は、もう使われることなく地下室で眠っている。最近、ロッキさんは地下室を簡易資料館にして、これらの遺物を使い、町の歴史を観光客に語っている。入場料は1ユーロだ。

チビタのサン・ドナート教会で、窓からの光に照らされる聖母子像。昨年の聖金曜日のミサで(PHOTOGRAPH BY CAMILLA FERRARI)

ロッキさんは過去を語ることはできるが、現在のチビタは進化を続けている。観光のため、毎日、町にいる人の顔ぶれが変わっても、伝統が助けとなって一つの町という意識は今も保たれている。その象徴が、毎年春に行われる「聖金曜日の行進」だ。

「聖金曜日の行進は、この町で古くから伝わるもので、大切な行事です」。こう話すのは、地元バーニョレージョの石工で、行進の組織委員会会長であるジョルダーノ・フィオコさんだ。この役目を、かつては彼の父が務めていた。「(近くの町)バーニョレージョの人も、幼いころからこの行事に参加してきました。私たちは正しい精神と共に育ち、伝統を受け継ぐのです」

チビタとバーニョレージョ双方からの参加者300人余りと共に、フィオコさんは何カ月もかけてこの催しを準備する。地元の仕立て師と革細工師が手間暇をかけて歴史的に正確な衣装を作り、巨大な宗教画が保管庫から取り出され、信心会が行進の編成を手伝う。関係者の多くは若く、フィオコさんはまだ33歳だ。

聖金曜日、チビタとバーニョレージョ両方から観光客と住民たちが集まり、チビタにある15世紀のキリスト像を男性たちがバーニョレージョへと運びながら行進し、戻ってくる。400年来のこの伝統行事は、民間伝承に彩られている。キリスト受難の像が、深夜0時までにチビタに戻らなければ、集落はかけがえのない受難像を失ってしまうばかりか地震に見舞われると、今でも人々は信じている。確かに、もし大きな地震が起きたら、チビタの町は滅んでしまうほどの大惨事となるだろう。

史料に基づいた衣装に身を包み、再現劇に出演するボランティアたち。行進の出発前に会話を交わす(PHOTOGRAPH BY CAMILLA FERRARI)

雨のため、行進が中止となった2年前、集落は打撃を受けた。「行進は単なる宗教行事ではなく、チビタと姉妹町のバーニョレージョが共通の遺産で結び付くことを意味しています」と、フィオコさんは説明する。この1日、チビタは数百年前と同じ姿を見せる。

現在、チビタは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産への登録を目指している。町の景観と回復力に、公式な評価を得るためだ。19年、町は250ページの書類をユネスコに提出。登録されれば、歴史的・文化的に重要な拠点としてのチビタの役割は強固になるだろう。チビタの登録推進チームは、周辺の町に観光スポットを設ける計画も立てている。チビタがうまく回復すれば、衰退する町を観光を通じて生き返らせようとする他の町にとっても、よいロードマップになるかもしれない。

「小さな町を守るのは大事なことです。それによって、伝統と歴史が守られるからです」とテデスキ氏は語る。「こういう小さな町こそ、文化のゆりかごと言っていいでしょう」

次ページでも、天空の中世都市、チビタの街の様子。今もこの街に暮らす人々と、訪れる人々を写真でご覧いただこう。

ナショジオメルマガ