ひらめきブックレビュー

観光と交通難民対策を一挙に 東急社員のMaaS奮戦記 『MaaS戦記 伊豆に未来の街を創る』

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MaaS(マース)はMobility as a Serviceの頭文字をとったもので、自家用車以外のさまざまな交通手段による移動をひとつのサービスとしてとらえ、シームレスにつなぐ概念だ。過疎地や高齢者の移動を変える新しいサービスとして注目を集めているが、まだなじみは薄いだろう。

本書『MaaS戦記 伊豆に未来の街を創る』は、そんな中で「日本初の観光型MaaS」を立ち上げるべく奮闘したドキュメンタリーだ。東急の広報課長であった森田創氏が、「MaaSを立ち上げるんだ」という社長命令を突然言い渡され、伊豆半島で新規事業を立ち上げていく。森田氏は現在、交通インフラ事業部MaaS担当課長で、ライターとしての活動歴も持つ。

■地域交通とのあつれき

東急はもともと田園調布の建設にはじまる都市開発と鉄道事業を両軸とする会社だ。都心から気軽に出かけられる観光地である伊豆は、東急が古くから開発に取り組んできた重要拠点だが、地域の高齢化率は40%を超え、タクシーやバスの減車・減便が続き、観光客の足回りに不安を抱えている。

そこで観光体験をスムーズにする観光型MaaSの出番だ。伊豆で実現すれば、地域の課題解決、観光客の満足度向上、東急グループの事業機会創出と、一石三鳥の効果を生む。スマホ版の鉄道・バス1日乗車券「デジタルフリーパス」、観光地やレストランのデジタル割引チケット、10人乗りのジャンボタクシーによるオンデマンド交通をスマホアプリ「Izuko」で予約・販売する企画を著者たちは構想する。

だが、具体的にはどうすれば実現できるのか――実証実験の開始まで10ヶ月という厳しいスケジュールの中で、商品設計、システム開発、関係者調整、予算の獲得、利用者へのPRなど著者たちが次々とハードルにぶつかり、髪の毛を振り乱して乗り越えていくドタバタ劇が本書の魅力だ。

地元の交通事業者である東海バスとの交渉では、厳しい経営環境の中で地域のバス路線を長年維持してきた重みを突き付けられる。いつ撤退するかもわからないMaaSと競争となって地域のバス路線が縮退してしまえば、あとに残されるのは移動手段を奪われた高齢者だ。オンデマンド交通の走行ルートが路線バスと競合しないように調整したこのときの経験から、MaaSを立ち上げるなら地域の交通が持続できるように最大限の配慮をしなければならないと著者は強くアドバイスしている。

今年に入り、コロナショックで観光産業は大打撃を受けている。混乱の中で、一緒に実証実験を続けようと言ってくれたのは一番激しくやりあった東海バスだったという。観光需要が戻ってきたときには、対人接触を避けてスマホで観光や交通のチケットが決済できるMaaSの需要は必ず高まるという信念で、著者は次の段階の実証実験を準備している。

「共通解はない」と言われるMaaS事業に失敗を重ねながら挑み続ける森田氏の姿、そして関係者が立場を超えて信頼関係でつながっていく様子には、胸を打たれる。感情的な衝突、葛藤も包み隠さず描く書きぶりに、読み終えた後はどこかすがすがしさを感じる一冊だ。

今回の評者=戎橋昌之
情報工場エディター。元官僚で、現在は官公庁向けコンサルタントとして働く傍ら、8万人超のビジネスパーソンをユーザーに持つ書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」のエディターとしても活動。大阪府出身。東大卒。

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