作家・藤沢周さん 父に学んだ武道の精神と言葉の重み
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は作家の藤沢周さんだ。
――ご出身は新潟ですね。
「新潟市の内野という日本海に近い町です。砂浜が広がり、佐渡島が見えます。近くには新川という川が日本海に注いでいます。海と川の風景は自分の原点ですね。大学に進むまで過ごしました」
――お父様は有名な武道家だったとか。
「柔道5段で『新潟の姿三四郎』と呼ばれていたようです。本人も『戦争がなければオリンピックに出ていた』と言っていました。僕も小さいころから父の影響を受けて道場に通いました。体の動きや呼吸、今もライフワークとしている無の境地で世界を見る禅の感覚を知らず知らず父から学んだと思います」
――厳しい人でしたか。
「いいえ。猛者のイメージとは逆に優しい人でした。ただ一度、小学生のときに2階の物干し台から庭に投げ飛ばされたことがあります。僕が母に乱暴な口をきいたのだと思います。『貴様、その態度は何だ』と。落とされたのが池だったので無事でしたが、宙を舞った瞬間『これで死ぬんだ』と思いましたね」
「銀行マンでしたが、子供好きで玩具を扱う卸会社を作り社長になりました。ストレスが多かったのでしょう。泥酔して深夜に帰宅する毎日だったのに朝5時に一人で出て行くんです。不審に思い後を付けると、新川で釣りをしていた。川面を見つめる横顔は、夫でも父でもない孤独な男の顔でした。きっと、悩みを一人で抱え、自分の時間を作って精神のバランスを取っていたのだと思います」
――父親の孤独が理解できたのですか?
「実は、僕も幼いころから一人でいることが好きでした。新川に反射する光をよくボーッと眺めていました。世の中との折り合いがうまくつかめず、『世界から自分は試されている』という感覚があるんです。だから父の孤独がわかる気がした。ある日、泥酔した父が『周のラーメンが食いたい』と言い、即席ラーメンを作りました。『うまいな』と言った1週間後に心筋梗塞で倒れました。53歳。僕が高校3年生のときです」
――お父様の影響で作家を目指したのですか。
「父が亡くなった後、新潟の雪景色を見て『なぜこんなにきれいなんだ』と突然、感じたんです。同時に自分と世界を結ぶ言葉が抜け落ちる感覚がありました。気が狂いそうになり内野の海岸に通いました。ある日、佐渡島を背景に波しぶきが散った瞬間、言葉が戻り『作家になろう』と。おかしな体験ですね」
「狂気を封印できているのは、父からもらった武道の精神と言葉の重さかもしれません。『世界から試されている』と感じている人は意外と多いのではないでしょうか。むしろ、心に何の狂気も持たず、声高に正義を叫ぶ人が、僕にはとても不思議なんです」
[日本経済新聞夕刊2020年9月15日付]
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