なぜ感染症ホットゾーンへ 米の専門家コロナとの闘い
2020年1月初旬、中国の武漢市で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が大流行しているという漠然とした第一報がもたらされたとき、その前からこの病について記録していた米国人医師がいた。感染症の専門家であるマイケル・キャラハン氏だ。
氏は、長年にわたり鳥インフルエンザウイルスの共同研究を行っていた中国人の同僚たちから、昨年11月に奇妙な新手のウイルスが現れたことを知らされた。同じ謎の病原体による症状を示している患者がシンガポールで発生すると、キャラハン氏はすぐに現地へ飛んだ。
現在57歳のキャラハン氏は、この20年間、重症急性呼吸器症候群(SARS)、エボラ出血熱、ジカ熱などの感染症が世界のどこかで大流行したときには大概その現場にいた。もちろん、防護服を着てだ。
1990年代にコンゴ民主共和国の難民キャンプで勤務していたとき、氏は感染症の専門医として最前線で働く決心をした。それ以来、アフリカの奥地に作られたエボラ出血熱診療所で働き、ロシアの生物兵器の専門家を感染症の研究者に再教育する支援をし、米国防総省で新興感染症の予測と予防を行う大規模プロジェクトのリーダーを務めた。
シンガポールの後、キャラハン氏は米ワシントン特別区に飛び、この病気が次に起こる可能性がある場所について米政府高官に説明した。その頃には、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染者が発生した2隻のクルーズ船が海上で待機させられていた。
キャラハン氏は同感染症の患者を診た数少ない米国人医師のひとりだったため、米保健福祉省(DHHS)から、横浜に停泊中のダイヤモンド・プリンセス号および米カリフォルニア州沖に停泊中のグランド・プリンセス号から米国人の乗客を退避させるよう協力を要請された。
この任務が完了すると、拠点としているマサチューセッツ総合病院のあるボストンに戻り、ニューヨークで臨床試験の立ち上げを支援するとともに、同病院で新型コロナウイルス感染症の患者の診察に当たった。「死と治癒の軍拡競争のようなものです」とキャラハン氏は言う。「ウイルスが勝つこともあれば、私たちの免疫系が勝つこともあります」
ナショナル ジオグラフィックは、米コロラド州ボールダーの自宅で休暇中のキャラハン氏に話を聞いた。
――――ヨセミテ渓谷で登山に熱中していた頃から、感染症に人生を捧げるようになるまでの経緯を教えてください。
「私は(米マサチューセッツ大学アマースト校の)カレッジで救急医療士になる勉強をし、山岳救助に携わるようになりました。そこで、生命の危険がある緊急時にどのように判断を下すかを学びました。その後、(米アラバマ大学の)医学部に在学中、海外での災害救助活動へと興味が移り、地震や津波によってすべての人が亡くなっているのではなく、その後に発生するマラリア、デング熱、水系感染症なども亡くなる原因であることに気付きました。感染症はゆっくりとやって来る災害です。そしていつまでも続きます」
――――COVID-19のようなパンデミックを自分が生きている間に経験すると予想していましたか?
「(DHHSで)感染症の大流行に備えて訓練を計画していたときは、最悪のシナリオを想定しましたが、それはあくまで仮説としてです。また、次にパンデミック(世界的な大流行)が起こるとすれば、インフルエンザだろうとも確信していました。2002年と2003年にSARSが流行した後もです。SARSは危険なウイルスですが、SARS-CoV-2ほどの感染力はありませんでした。私たちがどれほど謙虚でなければならないかが、よくわかりました」
――――新型コロナウイルスとの闘いをこれほど難しくしている原因は何ですか?
「とてつもない感染力です。このウイルスは、小さなスマート爆弾(誘導爆弾)のように静かに社会に身を潜めていて、傷つきやすい人を見つけると攻撃を仕掛けます。私はよく新型コロナウイルスは氷ではなく、氷山だと言っています。ほとんどが水面下にあるのです。今はその頂上を取り除こうとしているにすぎません」
──この危機によって、医療のルールは変わりましたか?
「私たちには地球上で最も裕福な、資源の豊富な医療システムがありますが、その豊かさはさほど役に立っていません。患者の致死率が、資源に恵まれない国と変わらないのですから。最大の武器は、相手を知ることです」
──現場で感染症にかかったことはありますか?
「感染したらプロとして失敗だと思っています。私は最良の見本になることが期待されています。日本に停泊していたクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号に(DHHSから派遣された医師、上級看護師、看護師、薬剤師で構成される)災害救助チームを送ったとき、ホット・ゾーン(感染症の流行地)に足を踏み入れたことがある人はひとりもいませんでした。みんな地震やハリケーン時に出動する人たちです」
「彼らは今、新たなスキルを学んでいて、最も重要なのは不安を感じたときや確信を持てないときは、スローダウンすることだと伝えています。もしも彼らが感染したら、失敗の責任は彼らではなく私たちにあります」
──ホット・ゾーンに繰り返し向かうのはなぜですか?
「米国人が敵国から退避するとき、最後まで現場にとどまるのは医師と看護師です。私たちは、医療へのアクセスの不平等が気がかりでたまりません。自分が危険にさらされようと、感染症が大流行している現場に行かずにいられないという遺伝子を持っているのです」
「私は医学部に在学中、コンゴとルワンダの国境近くにあるゴマ難民キャンプでボランティアとして働きました。大量虐殺が発生したときに帰国しましたが、その不公平さを放ってはおけなくなりました。そのような辺境の場所に行き、地元の医師の1人に何らかの方法を教えることで、数千人の人生に影響を及ぼし、村や地域社会に持続的な変化をもたらすことができるかもしれないと気付いたのです」
――――コロナウイルスの危機はどのように終息すると考えますか?
「この危機から抜け出すには、すべての人が感染症にかかるかワクチンの接種を受けることによって免疫を獲得するしか方法はありません。すぐにどうにかしなければならないとしたら、とりあえずめどの立ったワクチンを使って一過性の免疫を獲得することでしょう。それが4カ月から6カ月ほど持続すれば、パンデミックの連鎖を断つことができます。次は、別のもっと良いワクチンを使って同じようにします。これで乗り切れます。最初のワクチンで大成功を収められるわけではありません」
──ワクチンが重要視されすぎていると思われますか?
「多数の犠牲者が出る感染症が発生したときには、従うべき優先順位のリストがあります。第一に重症化しやすい人を守ること。第二に新たな感染を防ぐこと。第三に患者を治療すること。そして第四がワクチンを作ることです。ワクチンの製造は最も時間がかかり、最も高い危険が伴うからです」
「しかし、新たな感染を防げていないことは見てのとおりです。コロナウイルスの治療に十分な資金も投入されていません。ワクチンを開発するには、ヒトの免疫系が過去に出合ったことのないウイルスにどのように反応するかを理解する必要があります。私はむしろ実験室で、抗ウイルス薬を大量に試します」
──今回のようなパンデミックがまた起こることを防ぐにはどうしたらよいでしょうか?「感染症の流行は、より大規模に、より急速に、より頻繁に起こるようになっています。(アフリカで)エボラ出血熱が発生するたび、人びとが首都に殺到します。そこからはヨーロッパやインド、中国への直行便が飛んでいます。病気はあっという間に世界中に広がるということです。政治の問題は棚上げして、協力してウイルスと闘う必要があるのです」
(文 BRENDAN BORRELL、訳 山内百合子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2020年9月2日付の記事を再構成]
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