直線的になりがちな「クイズ話法」

そもそもクイズの話法は単調になりやすい。「出題→解答→正誤判定→解説」という単線的な流れが基本になっている。あらかじめ用意された正解に向かって組み立てられているせいもあって、寄り道やゆらぎの余地が小さい。いわゆる雑談では脱線もあり得るが、「正解」に向かう道筋では段取り重視、結論優先になりやすい。

テレビクイズは基本的に「問いと答え」から成る。さらに、大抵の場合は、正解が決まっている。だから、解答者が出した答えは正解と不正解に判定される。つまり、解答者が出した答えは「仮の答え」であり、正解という「真の答え」が別に存在する。解答者が常に正解するとは限らないのだから、当たり前の仕組みといえる。

だが、この感覚を日常会話に持ち込むと、少々、困ったことが起こり得る。たとえば、部長が部下に上期の仕事ぶりを尋ねる場合、部長が事前に「A万円ぐらいの売り上げ」といった「秘かな正解」を思い描いていると、その正解に満たない数字を答えた部下に「不正解」のイメージを抱いてしまいやすくなる。

自分の手応えに基づいて部下が正直に述べた答えは決して「誤答」ではない。実情を伝えたにすぎない。しかし、直線的な対話イメージを勝手に膨らませていた部長にとっては、頭の中で「ブーッ」と、ブザーが鳴り響くような「不正解」に思えてしまう可能性がある。しかも、部下の答えだけではなく、部下そのものにまで「不正解」のイメージをかぶせてしまいやすい。

会話に先立って、いくらかの「想定解」を持っておくのは、必ずしも悪いことではない。部長がしくじったのは、自分の解を勝手に「正解」と信じ込んで、部下の答えにブザーを鳴らしたところだ。部下から新しい解を得て、想定解を書き換えれば済んだ話だ。「そうか、現場は自分の予想よりもっと苦しいのか」と、情報をとらえ直せば、実務者からの報告に即したリアルな知見を得られただろう。

アイデアを出すような会議の場合でも、「正解ありき思考」は邪魔になりやすい。いわゆる「落としどころ」のような格好で、妥当そうな決着点がぼんやり思い描かれていると、会議参加者は突拍子もない思いつきを述べにくくなる。予定調和のやりとりをへて得られた結論は新鮮さや意外感の乏しい中身になりかねない。予定された正解が本当の正解を遠ざけ、イノベーションのチャンスを逃してしまうという残念なパラドックスだ。

先を読むのが必ずしも悪いわけではない。結論のみえない「エンドレス会議」は時に不毛だ。しかし、対話の際、自分が望む「正解」に向かって一直線に突き進むようなしゃべり方や論法は、相手からの提案や反論を暗に封じてしまう点で、期待以上の成果につながりにくいだろう。芸人のように、時に混ぜっ返したりはぐらかしたりを織り込みながらも、本音や実態を織り込んでいくのが上手な議論の進め方だ。お笑いも会議も一本調子は味気ない。

誰かと言葉や考えを交わすことの意義の一つは、自分だけでは思いつかないような発想や解決策を、対話の中から生み出すことにある。それなのに実質的に自分と自分が対話するような「正解思考」では、セレンディピティー(偶然の産物)に巡り会えない。

結論にまっすぐ向かわない議論はまどろっこしくてイライラさせられる。頭の回転が速い人ほど、じれったく感じてしまうかもしれない。論理的に考えて「正解」だとみえる「合理的でわかりきったゴール」へ一目散に向かいたくなるだろう。でも、その駆け足のせいで、ヒューマンな何かを置き去りにしてしまう心配は残る。

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「正解が見当たらない」も立派な正解