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中国・前漢時代の歴史家、司馬遷(紀元前145年ごろ~同86年ごろ)が書き残した「史記」は、皇帝から庶民まで多様な人物による処世のエピソードに満ちています。銀行マン時代にその魅力にとりつかれ、130巻、総字数52万を超す原文を毛筆で繰り返し書き写してきた書家、吉岡和夫さん(81)は、史記を「人間学の宝庫」と呼びます。定年退職後も長く研究を続けてきた吉岡さんに、現代に通じるエピソードをひもといてもらいます。(前回の記事は「トップを狂わせた『笑わない美女』」 史記のミステリー」)

自分をひどい目にあわせた者を許すのは難しいことです。自分は間違っていないと考えているなら、なおさらでしょう。泣き寝入りでは惨めさを引きずり、人から軽蔑されることにもなりかねません。どうやり返し、あるいは、許せばいいのか。中国・戦国時代(紀元前403~同221年)を生きた范雎(はんしょ)のエピソードから考えます。

トイレに放り込まれる屈辱

范雎は魏(ぎ)の国に生まれ、各地を巡り弁舌を磨きます。魏王のそばに仕えたいと考えますが、家が貧しく、自分を売り込む金がないため、まず須賈(しゅか)という人物の下で働きます。そこで経験した屈辱が彼の人生を変えます。

 范雎は、斉(せい)の国への使者となった須賈に同行します。交渉はうまく運ばないのですが、斉の王は范雎の才を評価し、財貨を与えようとしました。范雎は辞退しますが、上司の須賈は怒り、彼にスパイの嫌疑をかけます。帰国後、魏の宰相、魏斉(ぎせい)に告げ口し、交渉不調の責任まで范雎にかぶせます。
 魏斉の指示で范雎はむち打たれ、あばら骨や歯を折ります。苦しみのあまり死んだふりをすると、す巻きにされてトイレに放り込まれました。そこへ酔客がかわるがわる用を足しにやってきます。見せしめの罰でした。
 范雎は番人に「脱出させてくれたら、必ず厚くお礼をする」と頼みます。一計を案じた番人が「す巻きの死体を捨ててきたいのですが」と魏斉におうかがいをたてると、酔った彼は確認もせずに許可します。知人らの助けもあって、范雎は張禄(ちょうろく)に改名して生き延び、強国・秦に逃れます。

范雎は秦で大出世を果たします。秦の昭王に上書して面会の機会を得ると、慎重な言い回しでまず外交政策を説きます。それで実績をあげて信頼を得ると、王にとって深い悩みの種であった内政問題に踏み込みます。権勢をふるい私腹を肥やしていた王族らの排除を訴えたのです。背中を押された王は彼らを追放し、范雎を宰相に任じます。

范雎の弁論術は、この連載で取り上げたことのある蘇秦張儀に負けていません。まず国の美点を指摘することを忘れず、悩める王の関心をひく課題を示し、歴史の教訓を語ります。イエスマンではなく、よき理解者となることで秦王の心をつかみます。

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