著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優・気象予報士の片岡信和さんだ。
――どんなご両親ですか。
「父は物静かで優しく、家族の中では母が中心的な存在です。父は僕が子どものころから病気で、透析のために週1、2回は通院していました。親戚などに『大変だね』と言われましたが、違和感がありました。何も不自由したことがなく、父もいつも笑顔でしたので」
「2年前に父は亡くなったのですが、最期は皮膚が壊疽(えそ)したりと壮絶でした。でも、一切弱音を吐きませんでした。懸命に生ききり、誰よりも強い人だったなと思っています」
――大学生のときに、俳優の道に進みます。
「テレビの中の世界がキラキラして憧れていました。当初大反対だった母は、最終的には『やりたいなら』と。父は何も言いませんでしたが、20代後半のころ『好きなことをやって成功するのは高望みなんじゃないのか』と言われました。当時の僕は一生懸命やっているのになぜ水を差すのかと思っていました」
「ただ、思い出すことがあります。父親の体力が落ちていったころ、実家近くの公園で、足をひきずりながらも、必死に歩く父を偶然見かけました。そこから、手をつないで一歩一歩一緒に帰りました。家に着き、父が『信和と会ったよ』というと、母は『あーそー、早くごはん食べて』と。いつも通りの風景にすっごい幸せを感じたんです」
「振り返れば、高望みしないからこそ、ちゃんと今の幸せを感じられるのかもしれないと。このままじゃだめだと先のことばかり考えていると、もしかしたら今がないがしろになるかもしれないと気づきました」
――昨年、気象予報士の資格を取りました。受験勉強中に、お父さまの容体が悪くなられたそうですね。
「東日本大震災や気象災害などを目の当たりにし、俳優は平和でないと成り立たない仕事だなと感じたのがきっかけです。頑張って撮影した作品がお蔵入りになったとき、むなしかったんですよね」
「最期の3カ月は、毎晩病院で付き添いながら勉強していました。ある晩、目の前が全部色あせて見えました。苦しむ父親を助けることもできないし、試験は迫るし、仕事もセーブしてしまっている。単語カードを前に、涙が止まりませんでした。ただ、本当に言葉数の少ない父が、資格を取ると決めて伝えたときに、『それは本当にいいことだ』と、珍しく言ったんです。それが支えでした」
――合格をお父さまに伝えることはできませんでした。
「父親も喜んでくれているんじゃないかな。気象予報士試験の実技試験に出た事例が、父の命日の気象でした。これは応援されてるぞと。で、ページをめくったら、東京ではなく九州。慌てて解析しました(笑)」
[日本経済新聞夕刊2020年9月1日付]