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久留宮隆・国境なき医師団日本会長

久留宮隆・国境なき医師団日本会長

新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、医療現場は厳しい環境にさらされている。国際的な医療・人道支援を担う非政府組織(NGO)「国境なき医師団(MSF)日本」会長の久留宮隆医師は、地元三重県で救命救急の医療活動に従事する一方で、MSFの業務を果たす。母校の愛知県立旭丘高校(名古屋市)で培った無鉄砲なほどの行動力をバネに外科医として東奔西走する。

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県立旭丘高校時代、口より先に行動する先生の姿が印象的だった。

私は「考えるよりはまず行動する」タイプの人間でした。親から無鉄砲だと怒られたこともあります。旭丘の頃、剣道部の夏合宿の時に、武道場の2階から階下にあるプールに頭からダイビングして危うく大けがをしそうになったこともありました。

高校時代は目立たないところでも行動する大人を尊敬していました。個性的な先生が多かったのですが、高校1年生の時の担任は物静かな地学の教師でした。掃除の時間は大半の生徒がサボりたがります。先生は生徒に大声で指導するのではなく、黙々と自ら机などを運んで行動で示していました。口より先に行動で示す今もそんな先生の姿は忘れられません。

三重大学医学部に進学し、大学でも剣道部に所属しました。剣道は集中力を養うのですが、そこを生かして外科医として手術の腕を磨きました。三重県内の主要病院でバリバリ手術をこなしました。専門は消化器外科でしたが、当時は県内のトップを切って大腸の腹腔(ふくくう)鏡手術を手掛けました。医師として20年ほどたち、中核病院で外科医長などの役職にも就きました。

その頃からちょっと待てよと考えるようになりました。そもそもなぜ医者を志したのか。高校の頃に「患者さんと一対一で向き合う無医村の医者になりたい」と考えて医学部を志望したのに、いつの間にか大きな組織の歯車の一つになっていることに気づきました。

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