氷川きよし 時には演歌界から脱線する「暴れん坊」に
氷川きよしインタビュー(下)
氷川きよしがデビュー20周年に自身初のポップスアルバムを発表した。「ずっと変わりたいという思いはあった」「やりすぎと言われるくらいまで追い込まないと起爆剤にはならない」――。前回インタビュー「氷川きよし 自分にしかできない曲を、安泰よりは冒険」でそう話した氷川に新しいアルバムについて詳しく語ってもらった。
渾身の1stポップスアルバム『Papillon-ボヘミアン・ラプソディ-』の制作裏話あれこれを聞いてみよう。
「曲選びに関しては……やっぱり自分は、歌の真髄って詞だと思ってるんです。どういう言葉でどういう気持ちを伝えるのか。『この歌詞の一節が胸に響いたから生きていこうと思いました』と言ってもらえるような、人生を変えるような詞と歌声。そういうものを届けたいなって。自分もそうやって歌に感動させられてここまで来たので。
ですから『こういうサウンド、こんな曲調がいい』というのはもちろんありつつ、詞を読んで自分自身グッとくるかどうかを基準に選ばせてもらいました。
アルバムの構想を始めたのは1年前くらいかな。そのなかで『Papillon』という曲に出合い、これが表題曲になるなと。自分の狙いとして"見せ方"から変えようっていうのがあったから、20年を経てサナギから蝶になるという意味も、もっと羽を広げていくんだよという思いも含め、『Papillon』がぴったりきました。
で、サブタイトルには自分が感銘を受けた『ボヘミアン・ラプソディ』を。あの映画(クイーンの伝説を描いた同名映画)を見たとき、フレディ(・マーキュリー)の孤独にひどく共感して泣いちゃったんです。自分なりに彼に寄り添う気持ちで、人間としての彼の命を歌い継ぎたい、という熱い思いが湧きました。で、伝えるならそこはあえて日本語の歌詞で……と。(歌に出てくる)『殺しちゃった』相手はフレディ自身のことだとも思うし、今の時代だからこそ伝えるべきものだなと思ったし」
「ありのまま」と連呼するわけ
そうしてアルバムのテーマが固まり、他の曲もすべて詞のメッセージ性に重きを置いて歌い紡がれていった。
「そうですね。結果、どれもこれも『ありのまま』『あるがまま』『心のまま』って連呼してる(笑)。どんだけありのまま生きたいんだ! って自分でもツッコミましたけど(苦笑)、今の自分が一番伝えたいことはそこなんでしょうね。根が情熱家だから、トータルで聴いたときその20年分の熱がズッシリ重い! 1日半分ずつで聴いてもらったほうがいいかもしれません(笑)」
アルバムにはGReeeeN作詞作曲の『碧し』(既発曲)、いきものがかりの水野良樹が作詞作曲を手掛けた『おもひぞら』など、有名アーティストによる提供曲も収録。
「水野さんには"お任せ"で書いていただきました。自分はいきものがかりさんの『ありがとう』がすごく好きで、ああいう希望にあふれた曲が来るのかな? と想像してたんですよ。そしたら、想像よりもかなり哀愁系の曲で。演歌・歌謡曲のイメージに寄せてくださったのかもしれませんね。アレンジが入ったらさらにかっこよくなって、聴けば聴くほど良い曲です。また、さすがヒットメーカーでいらっしゃるなというか、曲の構成に仕掛けとカラクリがちゃんと効いていて、すごい作家さんだなぁと、改めて感動しました。
あとプライベートでも交流のある上田正樹さんには、自分からお願いして『Never give up』という曲を書き下ろしていただきました。昔からアレサ・フランクリンが大好きでいつか本格的なR&Bを歌いたかったから、日本でR&Bの帝王っていったら正樹さんだろう、と。この曲では初めて作詞にも挑戦しています。ラップの部分は正樹さんですけど。
なぜ満を持して詞を書こうと思ったかというと、正樹さんから言われた『思いをそのまんま書いたらいいよ。ルールはないんだから』という一言に背中を押されて…ですね。歌手として20年歩んできて――20年でもまだおこがましいと思ってますけど――ようやく、大人の目で自分の幼少期を振り返れるかなと思って。『遠いあの日から探していた』で始まるんですけども、5~6歳頃の記憶をたどりながら…その頃から孤独感を持ち合わせていた自分にとって、歌は支えだったし、いろんな気持ちを紛らわすための手段だった。そんな思いをストレートに書かせてもらった感じです」
ストレスをためないこと、睡眠は大事
歌唱法についてはどうだろう。長年培ってきた演歌の発声とはまた違う歌いこなし方が必要だったのでは…?
「演歌はコブシが回らないと様にならない。それに比べるとポップスには『こうでないと』という特別な型はないように考えてるんですけど……。
ロック系の作品は『限界突破×サバイバー』の歌い方の延長線上。高いとこをシャウトして"カーン!"と声を出すのは気持ちいいですし、演歌では使えない極端に高い音域を使えるのがうれしいかな。ロックで叫ぶと心の中のものを吐き出させてもらってる感じですね、『Papillon』にしても『確信』にしても。何ていうか、気持ちよさと同時に体温が上がる感じ。
EDMの『キニシナイ』などは、自分の世代的に普通に体になじんでるサウンドなので。EDMはまだ年数浅いですけど、ハウスとかテクノはずっと好きだったから無理なく歌える。ああいうずっとループしてる音って、疲れないんですよ。
他にもジャズとか歌謡曲調とか、いろんなジャンルの曲を収録してますが、発声をジャンルによって変えるとかは特に意識してないかな。レコーディングスタッフや歌の先生からアドバイスを受けた、というようなこともほぼなく、歌いたいように歌わせてくれました」
素晴らしい歌唱力を保つために日々心掛けていることや、守っているルーティンワークといえば何があるのだろうか。
「1番には、ストレスを溜めないことですかね。歌は精神が深く関係してるんで、急に声が出なくなるっていう歌手の方は、そのへんの問題が関わっているケースが結構多いんですよ。『歌わなきゃいけない』という焦りがさらにストレスになったり。ほんとに楽に構えてないと……。自分もポリープができた時は毎日苦しかったですね。
あと、睡眠は大事です。歌う日の前は最低でも8時間は寝るようにして、食事も夜は摂らないようにしてます。消化物が残ってると胃酸が出て声が出にくくなっちゃうから。ただ、最近はコロナの影響で自粛生活でしたから、家でガッツリ食べてお酒飲んで、ちょっとだらしない生活してますけど(笑)。
そうすると翌日やっぱり声が出にくいんですよ。いっそ3日間ぐらいファスティング(断食)したほうがいいのかもしれないけど、そんなにストイックじゃないから(笑)、なるべく野菜ジュースだけにしたり、グルテンフリーの物だけ食べたり……」
多様なジャンルの歌に引かれながら、20年間、演歌だけに身を捧げ膨大な数のステージをこなしてきたプロの生き様は、十分ストイックに見える。歌手を辞めたいと思ったことはないのですか、と尋ねてみた。
「ありました。『辞めようかな』って周囲にこぼしたことも。だけど……辞めたところで、どこにも行く場所はないし……。
やっぱ『Never give up』、諦めないことですよね。何があってもしぶとく、図太く続ける精神力が必要なんだと思います。たとえ一人ぼっちでも続けようともがいていると、励ましてくれる人は現れるから。逆にそういう時に自分にとって必要な、いい人たちだけ残るとさえ思う。だから何とか乗り越えてこれたんじゃないですかね」
会場によってはボー然とされるも……
「長年のファンの方々も、その多くが今回のイメージチェンジを温かく見守ってくださってるようでありがたいです。もっと賛否両論分かれるかと腹くくってたんですけど、『きーちゃんが表現するものなら好きだ』『違った面が見れて楽しい』って言ってくださる方がたくさんいて。もちろんコンサート会場によっては、『限界突破×サバイバー』を歌った時『何のこっちゃ分からない』という顔をされてる方も客席に見えて(汗)、ああ申し訳ないなぁと思ったりもしたんですけど…。
でも自分の20代の友達が、去年12月の東京国際フォーラムにこっそり見に来てくれて『"限界突破~"目当てで行ったけど、股旅演歌っていうのも面白かった!』と言ってくれたんです。全然知らない世界だから面白いって言ってくれたのが…ああ、エンタテインメントできたのかなって。
股旅ものは、今後もやっていきたいんですよね。難しい高尚な感じにはせず、大衆的な分かりやすいものを見せていきたいと思ってますし、その世界も嫌いじゃない。それって他の人にはできないエンタテインメントじゃないですか」
このアルバムがおそらくは、氷川きよし第2幕のスタートラインとなるだろう。氷川が見ている今後の目標とは――。
「やっぱり演歌も含め、時代に合ったものを表現していきたいなというのがあります。デモテープを聴いて感動し『これをやるなら今だ!』と思ったなら、その自分の感性を信じることが大事になってくるんじゃないかと。間違うこともあるだろうけど、恐れないで自分の感性を強く信じること。
そうして今や完全に分断されてしまってる演歌とポップスの世界の、橋渡し的存在に……図々しいけど、なれればいいなと思いますね。そのためにやってる部分もあるし。その道一本で行くっていうのもかっこいいですけど、自分は、時には演歌界のレールから脱線する暴れん坊でいたいです(笑)」
デビュー20周年の節目に送る6年ぶりのオリジナルアルバム。ポップスのみのアルバムは氷川きよしとしては初であり、演歌チャートを飛び出した総合ランキングで初週ビルボード1位・オリコン2位を獲得した。進化する氷川自身を象徴する重厚なロックナンバー『Papillon』、クイーンの名曲のカバー『ボヘミアン・ラプソディ』、SNS社会へのメッセージをEDMに乗せて軽やかに歌う『キニシナイ』、奇抜な扮装のミュージックビデオが話題の『不思議の国』ほか全14曲を収めた意欲作。圧倒的歌唱力で示す人間・氷川の現在地が味わえる(コロムビア)。
(ライター 上甲薫)
[日経エンタテインメント! 2020年8月号の記事を再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。
関連企業・業界