すゑひろがりず 着物姿で古語のかけ合い、いとをかし
扇を持ったボケの三島と、鼓を効果的に打ち鳴らすツッコミの南條によるコンビ・すゑひろがりず。着物姿で狂言風の言い回しをするネタはインパクトがあり、昨年末の漫才日本一決定戦『M-1グランプリ』で初のファイナリスト入りを果たすと、様々なバラエティーで活躍の場が増えた。
ユーチューブチャンネルも好評で『あつまれ どうぶつの森』のゲーム実況動画『集え!!けもの共の藪(やぶ)』は、初回配信分が6月12日時点で195万再生を突破。「おぬしの島はどうなっておる」「某(それがし)はここに決め申した」「築城(鼓を打つ)!」など、いかなる場面でも格式高い口調で会話し続ける様が笑いを誘う。
出会いは2005年に入学した吉本総合芸能学院(NSC)大阪校。別々のコンビだったが、それぞれ解散し、一緒に活動することになった。「三島が最初に組んでいた『バルチック艦隊』は、"西のオリエンタルラジオ"と呼ばれるくらい注目されていたんです。そこが解散して別の人と組むと聞いて、すぐに声をかけてトリオにしてもらったのが始まり」と南條は説明する。ところがそのトリオは3年ほど鳴かず飛ばずの状態が続いた。「もう1人のヤツが辞めることになって、11年4月からコンビになりました」(南條)
転機となったのは、思い付きでネタの練習風景をビデオで撮ってみたとき。「再生したら、衝撃的に辛気くさい2人が映ってたんです(笑)。華もなければ面白くもない。これは絶対に売れないなと」(三島)
事態が好転したのはその直後。12年4月、最後の舞台のつもりで和風のショートコントを披露したところ、これまでにない手応えが得られたのだという。南條は「一発屋のキャラ芸人と思われるのは、最初は少し怖かったですね。でもバイク川崎バイクさんに『キャラが浸透するまで7年はかかるぞ』と言われて。この期間があったからこそ、古典単語でのゲーム実況もできています」と振り返る。
その後、14年に東京へ進出し、15年に芸風とコンビ名を合わせるために「みなみのしま」から「すゑひろがりず」に改名。そして18年に埼玉・大宮ラクーンよしもと劇場の看板ユニット「大宮セブン」に加わったことが彼らの原動力となった。「クセのあるネタも受け入れてくれる東京のお客さんに比べて、笑わせるのがちょっとしんどくて(笑)。土日の寄席はご家族のお客さんも来るので、みなさんに笑ってもらえるように意識したり、かなり鍛えられました」(南條)
大宮セブンは「賞レースに強い」と評判で、メンバーのジェラードンやマヂカルラブリーとも互いに刺激を与え合っている様子。『M-1』後は、テレビ出演だけでなくユーチューブチャンネルの登録者数も急増。さらに南條は3月のピン芸人日本一決定戦『R-1ぐらんぷり』でも3位と好成績を残した。
目下の目標は「ロケの仕事をどんどん増やしたい」と南條。三島は「めでたい芸を身につけて、染之助・染太郎師匠のような存在になれたら。今は三味線を練習しています」と語った。苦労を重ねてここまでたどりついた遅咲き芸人。コンビ名通りの、末広がりな活躍に期待したい。
(日経エンタテインメント!8月号の記事を再構成 文/遠藤敏文 写真/中村嘉昭)
[日経MJ2020年8月28日付]
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