臼井興胤コメダHD社長 父から「短気で失敗するな」
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はコメダHD社長の臼井興胤さんだ。
――ご出身は愛媛県松山市ですね。
「父は丸善石油に勤めていて製油所のあった松山で生まれました。幼年期に梅津寺(ばいしんじ)にあった遊園地で撮った写真があり、うっすらと記憶に残っています。父は転勤が多く、小学校では4回転校しました」
「これまでいくつも企業を渡り歩いた"放浪癖"はこのころに培われたのかもしれません。かけっこが速くて勉強ができればやっていけた時代です。転校したどの先でも学級委員でしたし、どこでもやっていけるサバイバル能力と新しいことへの好奇心が醸成されたと思います」
「父は営業・人事畑でしたが、私が中学校に入ったときにアブダビ(アラブ首長国連邦)に単身赴任し、大学を卒業するまで日本に帰ってきませんでした。母は反抗期の盛りであった私の面倒を一人でみていたので大変だったと思います。父は赴任前に家族を欧州旅行に連れていってくれ、そのとき見たギリシャの神殿が忘れられず『海外で活躍したい』というスイッチが入りました」
――臼井家は千葉県印旛郡の武家だったとか。
「臼井興胤という私の名前と同じ名を名乗っていた人が中興の祖だったようです。私の息子で30代目。そんな一族なので、母のしつけは厳しく、高校でガールフレンドができたときも、『間違っても手をつないで並んで歩いたりしないように』と言われました。彼女に『普通に人と同じことをしていたら普通の人にしかならない』と念仏のように言われ、熱心に勉強しました。ただ、勉強だけではいけないと思い、友達を大勢作りましたが(笑)」
――父親からは何を受け継ぎましたか。
「小学校まではよくいろいろなところに連れて行ってくれました。家族を大事にしていた人だと思います。流木を彫って帆船模型を作るなど器用な人で、55歳を過ぎたあたりで会社を辞め、趣味を仕事にしていました。お酒は飲めず、マージャンが好きで、社宅でよく仲間と遊んでいました。私には『マージャンはするな。俺がマージャンの時間を読書に費やしていたら、ひとかどの人間になっていたはず』と言い、本はいくらでも買ってくれました」
「臼井家は代々短気なので短気で失敗しないようにとも言われました。私は誰にでもはっきりと物を言い、思い通りに生きてきましたが、代々流れている短気の血は争えず、周りの人は随分大変だったと思います」
「都内に住む両親は健在でいまでも2週間に1度くらいは顔を見せに行きます。妹が知らせるのか、私のことが書かれた雑誌などは必ず読んでいて、うれしそうに見せてくれます。仲のよい家族だと思います」
[日本経済新聞夕刊2020年8月25日付]
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