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名作のナンバーがどんどん出てくるのも、ミュージカル好きにはこたえられないでしょう。当時の舞台写真が映像で映るので、昔から知っている人は懐かしかったり、新しいファンの方は「これが伝説の何々という曲か」と知る楽しみ方もできたりするでしょう。僕があらためて感じたのは、あまたある東宝ミュージカルの名作の中でも『レ・ミゼラブル』と『エリザベート』は別格だということ。劇中から2曲歌われるのはこの2作だけで、それぞれいまだに上演されています。愛され続けている作品ですね。

僕の帝劇の思い出は現在進行形

ミュージカル俳優同士が集まって、帝劇や東宝ミュージカルについて語る機会も、実はあまりなかったと思います。そういう意味でも一つの節目となりました。僕にとっての帝劇は、ホームグラウンドで、帰ってきたら落ち着く実家みたいな感じでしょうか。オーディションで最初に行ったのが帝劇の9階、初めて宣材写真を撮ったのは帝劇の地下4階、演出家にすごいダメ出しをされてトイレから出てきたくなくなったのも帝劇だし、初めて主役を任されたのも帝劇。思い出だらけですが、まだ現在進行形なので、感傷や感慨に浸るよりも「また帰って来られてうれしい」というのが正直な思い。思い出といってもぴんとこないし、MCとして皆さんの思い出話を聞いている方が楽しいですね。

帝劇は、昔から「舞台の神様がいる」といわれていて、たしかに舞台の神様が何とかしてくれるだろうと信じられる場所です。大きな劇場なので、最初に出るときは誰でも緊張して萎縮するのですが、舞台に立つと意外と客席から見るほど大きくないし、客席に包まれるような安心感があります。お客さまも楽しみに来てくださっているので演者の味方というか、見守ってくださる。自分を肯定してもらえるし、世の中を肯定できる空間がそこにある、という気持ちになれる劇場です。同時に、歴史も格式もあるので、舞台に立つことに責任も感じます。特に真ん中は。だから今回のMCも、帝劇の格から逸脱はしたくないし、でもあまり堅苦しすぎてもいけないし、トークは楽しくしたいし、とバランスをすごく考えながら取り組んでいます。

客席はキャパシティの半分ですが、回によってはライブ映像配信をしているので、実際はもっと多くのお客さまに楽しんでいただけています。これも劇場の新しいあり方へのトライです。演劇界にとって、今はまず興行を成立させることが大きな課題。客席が半分の状態が長く続く可能性もあるし、そのなかで自分たちの仕事場を守っていける方法を考えないといけない。その一つが配信だとすれば、ミュージカルというジャンルは、音楽も楽しんでもらえるし、距離も取りながらできる。あらためて強みや素晴らしさを感じました。

舞台の袖で見ていて思ったのは、ミュージカルにはすごい力があるということ。音やリズムに包まれる喜びに浸れる、すてきなナンバーが次々と出てきます。バラードでしんみりとした曲とノリノリの曲が交互に出てきて、おなかがいっぱいになるほど。でも僕は、そのエネルギーを浴びて、うれしくてしようがありませんでした。帝劇という大きな空間で、声が大きくて、歌のうまい人たちが、オーケストラの演奏をバックに、パワー全開で歌いまくる。この祝祭感や高揚感はミュージカルでしか味わえないもので、きっと配信でも伝わっているはずです。ミュージカルで歌えば、どんな悲しい曲でも、歌っていること自体が一歩踏み出すことになる。みんなで歌うことが、前に進もうというメッセージなんだ。そんな、自分が愛してきたミュージカルの力を実感して、とても幸せな気持ちでした。

井上芳雄
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)。

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第76回は2020年9月5日(土)の予定です。


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